2008-01-01から1年間の記事一覧

『伝説』

楽譜が出版されて間もない頃に、譜面を眺めて購入を決めた。別に楽譜を見るだけで音が想像できるような能力はないから、単なる直感だった。 高らかに語り上げるような詩ではなく、語りの扱いはおそらく非常に難しい。東混の演奏会で聴いたときにはマイクを使…

三善晃の曲を聴くときに

「鬼気迫る度評価」みたいになってしまうのもほどほどに、と思うようになった。

『詩の歌』

初めて聴いたときには、聴きやすいがあまりぱっとしない曲という印象だった。あと合唱やってるとありがちだが歌うのに難しいのと聴くのに難しいのを混同してしまうとか。『嫁ぐ娘に』で変な聴き方をしていたら妙に和音の配置に意識が向くようになった。 その…

『嫁ぐ娘に』は苦手とか書こうと思って何度か聴いていたら

最後の最後、「ことなく」の後の所にはまってしまった。 それはともかく、この曲の詩は苦手だ。「さよなら〜」とか盛り上がったところで、「嫁ぐ娘の娘が聴きにまいります」(CD『かなしみいついて』の解説より)とか読んでしまい、ちょっとしらけた気分に…

「死者」とか言っちゃうのは

かっこわるい、というか、柄でないな。

プーランクの『Messe en Sol majeur』

クリスマス気分を盛り上げるために何を聴こうか、と思い、プーランクがいいかな、とCDをかけてみた。 いつの間にか、ミサは4種類のCDを持っていた。クリモテは2種類。以前は近所の図書館にロバート・ショウのCDがあって、好きな演奏だったのだが、だ…

「三部作」のこと

『レクイエム』から『詩篇』までにずいぶん年数がかかった、と思ったことがあったが、このように見るのは間違いで、三善晃は多分『レクイエム』を三部作の第一曲として作曲した訳ではない。この一曲、という思いをもっていたはず。『レクイエム』は死者から…

廣瀬量平は

『海鵜』や『エトピリカ』(『海鳥の詩』)を歌ったことがあった。『海鳥の詩』と『海の詩』は高校生のころに繰り返し聴いたが、合唱以外の曲はまったく接することがなかった。 邦楽のイメージがあったが、『高雅な猫のための組曲』なんて曲を書いていて、い…

『その日−August 6−』

この曲は今年何度も演奏されたようなのだが、聴く機会を逃し続けた。 三善晃作品展の二日目も逃した機会の内の一回だった。が、作品展のプログラムは2日分の曲が記載され、プログラム・ノートを読むことはできた。 この曲に関しては「極度に切り詰めた楽句…

『原初』から『縄文土偶』

『虹とリンゴ』の『原初』は「夢」という言葉から始まる。で、『ふるさと』(『縄文土偶』)で「夢の断崖」という言葉が出てくるので、この二つの「夢」をつないでみるのはそれだけなら単なる思いつきだが、「宇宙は目覚めようとしているのです」という詩句…

『水たまり』(髙田三郎『水のいのち』)

昨年聴く機会があったのだが、「わたしたちの深さ〜泥のまどい」のあたりで、怒ったような演奏をされて、「何で怒られなければならんのか」と思った。 結構不愉快な演奏が多い。「ドロドロなのはあんた方だけでしょ」と言ってしまいたくなる。 それはそれと…

『魁響の譜』

非常に字面がごついので、どれほど怪物的な音楽なのかと思っていたが、そのような曲でもない。 開館記念の作品ということで、開館以後ホールで行われるあらゆる活動に向けて、序曲のようなものを作ろうとしたのだと思う。対象が限定のないものであるために出…

『レオス』

この曲について書かれた文章などを読むと、どうやら安らぎの音楽ということらしい。そう思って聴いてそう思えないわけでもない。 話としては、レオスから永遠−死−安らぎ、がつながっているようで、三善晃自身による『レクイエム』と『変化嘆詠』のレコードの…

『木とともに 人とともに』

この曲を最初に聴いたときは、何となく印象の薄い曲だと思っていた。が、根拠があるわけではないが、むしろこの曲は印象を後に残さないように作られているのではないか、と思うようになった。 この曲の音には、常に膨大な留保がついている。単純な話にするな…

『谺つり星』

CD『三善晃の音楽』で、『谺つり星』を聴いている。 この曲は2回コンサートで聴いたのだが、というかその内1回はこのCDの演奏だが、どうもよく分からない感じだった。『チェロ協奏曲第1番』の印象や、なんだかメルヘンみたいなタイトルとか、作曲者の…

『ぼく』について、変な話

『ぼく』について、しばらく前にいろいろ考えていた時、<このほしに>の、ピアノが初めて入ってくる音が、すでに懐かしさのような感じを持っているなぁ、と、このときは単に思った。 木曜日、風呂に入っている最中に、あれ、と思った。「そしてすべてのまぼ…

『レクイエム』

日本フィルハーモニー交響楽団の演奏がCD化されて日本伝統文化振興財団から出たとき、大喜びしたにもかかわらず、実際にはそれほど聴かないまま最近まで過ごしている。聴き方について特定のスタンスを強いられるような感じがして、落ち着かない気分になる…

CD『三善晃の音楽』を買った

18日の話。 オペラシティに開場15分前に到着し、すでに列ができてきている最後尾についた。すぐに後にも人が並び、どこに続いているか分からないような長蛇の列。「三善のファンは気の早い人が多いなぁ」とか自分を棚に上げて思う。開場。 プログラムを…

三善晃作品展Ⅰ 器楽・歌曲作品

En vers 円環と交差 歌曲集「聖三稜玻璃」 鏡 随風吹動 弦楽四重奏曲第3番「黒の星座」 Message Sonore 響象Ⅰ・Ⅱ Etoile a Cordes(弦の星たち)なんだか変な風に入れ込みすぎて、かえって何を聴いてるのか分からない感じになってしまった。 『En vers』の…

『鳥』(『地球へのバラード』)

『私が歌う理由』、『沈黙の名』で、「私」が世界の外部であることとそれによる痛み(「故知らぬさびしさ」とか)が歌われて、次のこの曲で、その痛みから逃れようとする。 「RuRuRu」の部分は、空や虫などなどを「名づけない」ものになったことの表現…

『彩夢−2本のクラリネットのための』

フォンテックのCD『クラリネット奏者・浜中浩一の世界』3枚組を買って、7分ほどのこの曲以外ほとんど聴いていないというもったいなさ。 5曲からなる小曲というだけで『五つの詩』と、また「夢を通して自分の幼時とめぐり遭い」という三善晃自身のノート…

さらにつたない話

『三つの夜想』の前後の変化は「痛み」の感覚の有無である、と以前書いたけれども、気分としてはその続きのようなもの。「共感とは、痛みに対してするもの」というのが、およそ自分の思いつきのようには思えないので、どこかで似たような言い回しを見たこと…

『愛の歌』のことを少し

『愛の歌』で検索するとブラームスの方が普通に並ぶけれども、ここでは三善晃の曲。 自分にとってはかなり聴くのが難しい。90年代には『伝説』のような難曲も書いているが、『愛の歌』のほうが聴いて分かりにくい曲のように思う。 詩は結構シンプルな形式…

詩集『鳥のために』が届いた

山崎佳代子の『鳥のために』が届いた。復刊決定から2ヶ月半か。

『三群の混声合唱体とピアノのための ぼく』

3年に2回くらいのペースで『ぼく』週間みたいなものがやってきて、何を考えていてもいつのまにか〈PROLOGUE〉とか〈ぼくはしんだ〉あたりに意識が向いていたりする。最近も、〈ぼくはしんだ〉の、「このちじょうで」の「この」で曲が高まるのはなぜか、と…

『虹とリンゴ』の「虹」

歌われる詩の中で「虹」という言葉は、『原初』の「影の虹」と出てくるだけだが、三善晃はシャボン玉に虹の色を見ていて、それでこの曲のタイトルに虹という言葉が入っているのだろう。 アンジェリカのCD「Voicd of Angel vol.3」に、初演時のプログラムノ…

昨日HMVに行ったら

カウンターに「林光の音楽」44,100円がどん、と置いてあった。 「『黒い歌』のCDが手に入るなら44,100円くらいおしくはないぜ!」といきたいところだったがやはりそうはいかない。ブルックナーのCDを買って帰ってきた。

「私はひとり」「人々のざわめきに」

『愛の歌』ではこれらの言葉に対してこの手法が用いられている。これは、意味的にはもう一段深い仕掛けになっている。「私はひとり」という一人一人の歌の総体が、「人々のざわめき」を形成する。

「光の魚が」とかの

『虹とリンゴ』第1曲『原初』の「光の魚が」「影の鳥が」、また第3曲の「美しいシャボン玉」で用いられている、特定の音型を繰り返しながら各人でずらしていきクラスターに至る、という方法は、以前にも『愛の歌』で使用されている。 確信があるということ…

『これが俺達の音楽だ』

フォンテックから出た東混のCDを買った。内容は 上田真樹 混声合唱とピアノのための『鎮魂の賦』 森田智宏 混声合唱組曲『これが俺達の音楽だ』 篠田昌伸 『「Opus」による5つの断章』 まだあまりきちんと聴いていない。上田真樹は『夢の意味』のとき…