今年は谷川俊太郎の「はる」の詩による曲を2つ歌っている。一つは『この星の上で』の1曲目で、もう一つが上田真樹『そのあと』の、やはり1曲目。よく知られた詩なので他にもいくらでもあるだろうと思い youtube で探したところ、鈴木輝昭、信長貴富、松本望の曲が見つかった。5曲を聴き比べると共通する雰囲気のようなものはあり、一方でそれぞれの違った性格も感じられる。
鈴木輝昭の曲は『組曲いのち』の1曲目となっている。所々の思いがけない和音の推移などに鈴木らしさを感じられる一方、詩の捉え方は雰囲気だけという印象がある。
信長貴富は2部合唱と4声への編曲版がある。詩の中間部に畳みかけるようなリズムを当てているあたりのメカニカルな処理がこちらもいかにも信長という感がある。が、やはり詩の把握について独自のものは無いように思える。
松本望の曲は『むすばれるものたち』の1曲目。今回比較した中では最もスタティックな音楽となっており、作曲家がこの詩自体や春という季節にどこか時間を超えたイメージをもっているのではないかと思えた。
上田真樹は、上に書いた通り『そのあと』の1曲目でこの詩を扱っている。最初の印象は鈴木や信長の曲とも近い温和な音楽なのだが、「はるのひととき」に明確な頂点を置く点は他と違った作りになっている。また、この曲の旋律は表題曲『そのあと』の最後に現われるが、「そのあと」の詩は東日本大震災に纏わるものであり、『はる』の再現にも明らかな意味がある。上田の『はる』は全曲的なテーマ性を受け止める作品になっている。
松下耕の『はる』は、こちらも触れたように『この星の上で』の1曲目となっている。ピアノは組曲全体の序奏となるような開始から『はる』への前奏に入るのだが、このピアノの動きには木が揺さぶられるような印象があり、曲のテンポ感も含めて先の4曲よりも運動の感覚がある。春といえば暖かい、穏やかといったイメージがあるが、松下にとっては強い風の吹く季節ということなのだろう。もう一つ特徴的なのが、「はるのひととき」からそれまでとはっきり異なる音楽になることで、他の4曲とかなり違った作りになっている。おそらくこれは「かみさま」という言葉の捉え方の違いだろう。所々で現れる空虚五度などを見ると、松下は厳しさのようなものをここで表したかったのではないかと思える。
信長を別として、皆が組曲の1曲目にこの詩を置いているのが面白い。春という季節感や、具体性のない詩であることなどにより他に配置のしようがないのだろう。
今月谷川俊太郎が亡くなったこともあってこの詩のことを思い返した。個人的には、「はる」という詩には谷川俊太郎の詩という以上に、詩というもののイメージそのもののような印象を持っている。