2008-07-01から1ヶ月間の記事一覧

「裏側まで」

また『虹とリンゴ』より『夏』。 なぜ宗左近は地球とか宇宙とか世界とかほいほい言ってしまえたのか、あるいはなぜ地球は「裏側まで」丸焼けなのか。 と、この曲を聴いてから少し考えてみた。 これは、三善がバス歌曲『祈り』でとりあげた「炎える母」の詩句…

『響紋』が、怖くて気持ち悪いというのは

といいつつ『クレーの絵本第一集』の話から。 この曲のギターが時代性とか歴史とかそのようなものの表現であるのは、《黄色い鳥のいる風景》から分かる。というのは、「みずがながれていて きのうときょうがある」、つまり時間が現れるところでギターが入っ…

で、何が変わったか

つたない言い方になるけれども、「痛み」のような感触が、『三つの夜想』の後はあまりないように感じられる。それが、曲に対する信頼感や、聞き手への拘束力を弱めている。 けれども、三善は宣言してそのように変化したので、その意味を考えるべきなのだろう…

『三つの夜想』の前後 その2

この曲が作風の変化の境目だとすると、そこで「私はもう おまえに飽きているのだけれど」という詩を選んだということは、その変化が意図したものだということだろう。それで「つまらなくなった」と感じることはあり得るけれども、それはもう見捨てられたとい…