『三群の混声合唱体とピアノのための ぼく』

3年に2回くらいのペースで『ぼく』週間みたいなものがやってきて、何を考えていてもいつのまにか〈PROLOGUE〉とか〈ぼくはしんだ〉あたりに意識が向いていたりする。最近も、〈ぼくはしんだ〉の、「このちじょうで」の「この」で曲が高まるのはなぜか、となんとなく思っていた。
この曲は多少皮肉な意味も込めての成功作で、〈それから〉あたりでばたついても最後の「もういいよ」を聴けば結局は感動してしまうので、練習不足でもステージが失敗に終わることはない。
混声六連の合同曲でこの曲を演奏していたのはおととしあたりだっただろうか。山田和樹の指揮で演奏されたが、このときに山田和樹はダメ、ということで自分にとっての結論は出た。三群を混ぜて配置してはその機能が死んでしまうし、そもそも〈PROLOGUE〉をきちんと捌けないようで本当にプロの指揮者なのかと。
でも、〈ぼくはしんだ〉に至ってしまうと、やはり感動してしまうのだった。