『水たまり』(髙田三郎『水のいのち』)

昨年聴く機会があったのだが、「わたしたちの深さ〜泥のまどい」のあたりで、怒ったような演奏をされて、「何で怒られなければならんのか」と思った。
結構不愉快な演奏が多い。「ドロドロなのはあんた方だけでしょ」と言ってしまいたくなる。
それはそれとして、「わたしたちの深さ それは泥の深さ」について。
かなり長い間、「水たまりの底の泥程度の深さ」という意味だと、つまり浅い、ということと思っていた。数年前に考えが変わった。
たとえば音楽でも、「深い」という言い方で評価したり感想を言ったりすることがある。そこで深さをはかられているのがそもそも泥である、ということだと思うようになった。
ここで「わたしたち=泥」(「=水たまり」ではなく)ということになり、その後の「いのち」を求める姿が傍からは水たまりに似ている、ということで、最後の再現の企みは案外複雑だ。