2008-01-01から1年間の記事一覧

「虹の芯」

『海』の詩に出てくるこのことばの意味。 虹は、とりあえず円弧の一部が見えているけれども、実は円である、と思って残りを補う。 丸い形に、トイレットペーパーの芯よろしく芯がある、と思う。 芯の位置にある色は、青、ということでその前の「青い薔薇」に…

三善の管弦楽曲のCDが出るらしい

東京フィルハーモニー交響楽団による3回シリーズ〈三善晃の世界〉のライブCDが出るようだ。今月のレコ芸に載っていた。たしかカメラータ・トウキョウからだったと思うがきちんとは確認していない。 で、カメラータ・トウキョウのサイトを見てみたらその話…

「季節は秋からはじまる」について

『四つの秋の歌』(歌曲と女声合唱への編曲がある)について三善晃の書いた文章の中に、この文が出てくる。何年か前の8月下旬頃、これに納得した。なんというか、頓知的に。 「もうすぐ夏も終わりだな」と、思ったのだった。そうして、ふと思った。「もう*…

『原初』(『虹とリンゴ』)

「光の魚」「影の鳥」「光の花」「影の虹」というのは、単に宗左近の見た光景ということでいいのだろうと思う。 そしてそのありえなさ(魚が飛び、鳥が泳ぐ)と美しさ(花と虹)のためにそれが夢である、という認識になる。夢「ですか」という言い方になるの…

「世界が燃えてしまった」

この思いつきはもともと勘違が由来。 荻久保和明の「レクイエム」を聴いた際、パンフレットの解説で人類が滅んだあとの光景とか書いてあったのを読んで、ああ、宗左近の詩もそういうつながりか、と思ったのだった。 それで『縄文』を聴いたら全然そういう曲…

「裏側まで」

また『虹とリンゴ』より『夏』。 なぜ宗左近は地球とか宇宙とか世界とかほいほい言ってしまえたのか、あるいはなぜ地球は「裏側まで」丸焼けなのか。 と、この曲を聴いてから少し考えてみた。 これは、三善がバス歌曲『祈り』でとりあげた「炎える母」の詩句…

『響紋』が、怖くて気持ち悪いというのは

といいつつ『クレーの絵本第一集』の話から。 この曲のギターが時代性とか歴史とかそのようなものの表現であるのは、《黄色い鳥のいる風景》から分かる。というのは、「みずがながれていて きのうときょうがある」、つまり時間が現れるところでギターが入っ…

で、何が変わったか

つたない言い方になるけれども、「痛み」のような感触が、『三つの夜想』の後はあまりないように感じられる。それが、曲に対する信頼感や、聞き手への拘束力を弱めている。 けれども、三善は宣言してそのように変化したので、その意味を考えるべきなのだろう…

『三つの夜想』の前後 その2

この曲が作風の変化の境目だとすると、そこで「私はもう おまえに飽きているのだけれど」という詩を選んだということは、その変化が意図したものだということだろう。それで「つまらなくなった」と感じることはあり得るけれども、それはもう見捨てられたとい…

山崎佳代子『鳥のために』復刊

この詩集による松下耕の曲の評判が、詩の水準にまるでとどかない、みたいなものが多かったので、気になっていたのだった。

『三つの夜想』の前後

三善の曲について「語る」のが主眼である場合、『三つの夜想』は非常に重要だと思う。この曲の前と後では作られた曲の印象がはっきり変わっている(この年代の曲をすべて聴いたわけではないけれども)。 90年代あたりに「最近の三善の曲はあまり良くない」…

トウキョウ・カンタートで鷹羽弘晃が

『ブルレスカ』の紹介をした(演奏もあった。ピアノを弾いていた)のだけれども、そこで「戦争を知らない」云々、とか言っていた。 それが何で気になったか、と思うに、その少し前に買った『鳥のために』の楽譜で松下耕が「戦争を知らない私には」云々と、や…

『三つの夜想』を

『三つの抒情』と通して聴くと、『ある肖像』の「自分のかげだけしか」のところが気になるものだと思う。この部分が「夕ぐれが夜に」と、また「おまへのことで」と似ているのにはすぐ気づくけれども、その意味はなにか、と考えたことはあまりなかった。 ある…

『三つの抒情』について

11月のコンサートで松下耕が言っていたのが、「こんな曲が書きたいと女声合唱を書く作曲家がみんな思った」というようなことだった。とりあえずそういうスタンスでは無理、と思うのだけれども、それは『三つの抒情』のことを「イタイタしい若気のヤケッパ…

『北の海』(『三つの抒情』)

日本伝統文化振興財団のCDの解説の文章は、たぶんビクターから出ていた頃と変わっていないので、読んだ人も多いだろうと思う。「私にとって、声とは」というあたり。これと『三つの抒情』について、何の拍子にか忘れたけれども納得したような気がした。 詩…

『夏』もう一回

最初に「ルラーラー」で怖い音を鳴らしておくことで、歌の内容に2つの層があることがしめされている。そして、以後のちょっとした違和感が全部それに結びついてしまう、という仕組みになっている。 実際に何かしら不穏な音になっているのは「ルラーラー」、…

『夏』(『虹とリンゴ』より)

凄惨な光景をかわいらしいものにたとえた詩に対して、のどかな旋律の合間から怖いものがのぞくような曲があてられているのはすぐ分かる。「キラキラキラ」の色合いの変化や「光のリボン」の三連符など、簡素なのにぞっとするような効果がある。 けれどもそれ…

『虹とリンゴ』のことを書かねば

藤井宏樹と松下耕のコンサートで初めて聴いた。会場でCDも買って、その後楽譜ともう一枚のCDも買った。(どちらのCDよりも当日の演奏の方が良かった) こうして見ると超熱狂的という感じだけど、そういうことでもない。構成は明快、詩句と音の対応も分…

『私が歌う理由』について少し

この前の続きでいうとこの曲は、「仔猫かわいそう」で手を取りあえると思ったら突っぱねられてぶち切れる歌で、「仔猫かわいそう」と「人間を含む……への愛」が、またそれぞれを持ち出すスタンスがパラレルになっている。 男声がそれを否定して、以降は言い直…

『地球へのバラード』の前書き

最初は『三つの抒情』か、『地球へのバラード』か、『虹とリンゴ』と思っていたけれども、思い入れからしたらこれか、と。 この曲の解説で常に引かれるのが「人間をふくむ生命の星としての地球への愛を歌いたい」という楽譜の序文の文句。で、これは何だ、と…

去年の11月というともう半年前

『藤井宏樹&松下耕指揮によるJOINT CONCERT 三善晃の作品をあつめて』というコンサートを聴きに行った。 で、もちろん上手かった訳だけれども、案外と読めてない感じもあって(詩や、詩と曲の関係とか)、ちょっと考え込んでしまうような演奏でもあった。 …

基本的には

三善晃のファンなので、三善晃の合唱曲についてちまちまとなんか書こうと思う。

作ってみた

つづくのかね、これ。