2018-01-01から1年間の記事一覧

「遠方より無へ」とは

『遠方より無へ』とははじめ二台のギターのための『プロターズ』の副題で、その後三善晃が自身の書いた文章をまとめた書籍のタイトルとされた。 気分くらいは分かりたいということで雑な話をするが、「人は死ねば無になる」と言ってみたときに「まあ、そうか…

『二つの祈りの音楽』のこと

松本望の『二つの祈りの音楽』は、初演からそれほどの間もなく、実力のある団体が次々取り上げるようになったようで、自分もすでに2度、実演に触れる機会があった。CANTUS ANIMAEに松原混声合唱団という、あるいは羨む人もあるだろうという2回ではあるのだが…

『縄文土偶』の楽譜が届いた

正直なところ一部の本当に熱心な団体だけが手書き譜のコピーで伝えていくだけだと思っていたのだが、『縄文土偶』の楽譜が出版された。三善晃が亡くなってから5年経ち、若い作曲家の新曲も生まれる中のことで、情熱的な男声合唱団の活動の成果だろう。 楽譜…

サルビアかサルビヤか(『時間はきらきらと』)

『嫁ぐ娘に』の4曲目『時間はきらきらと』の詩に「サルビアの花 燃え」という行があり、原詩ではこの通り「サルビア」なのだが、楽譜を見直していたら譜面では「サルビヤ」だった。演奏はどうしているのだろうか。 そのサルビアについて。伝聞の伝聞になるが…

『戦いの日日』について

昨年に、ルネ・ヤーコプス指揮、RIAS室内合唱団の『マタイ受難曲』のCDを購入した。2枚組で取り回しが良いので、何度か取り出して聴いていた。 解説なども少し見てみたが、福音史家やイエスなどの配役、合唱も総括的な曲と群衆のような役割やコラールなど、…

『私が歌う理由』その2

tooth-o.hatenablog.com 「その1」では「なぜ繰り返すのか? そもそも繰り返しなのか?」と切り出した。これについて、観察した曲の特徴と考え合わせるなら、三善晃の答えはおそらく「繰り返しではなく、言い換えである」というものだろう。そしてなぜ言い…

『私が歌う理由』その1

『私が歌う理由』についてはある程度書いたような気がしていたのだが、見返してみると時々触れることはあっても、まとまった形で書いたことがなかった。ここで、思うところを一度まとめてみたい。 詩は5つの連からなり、各連は4行、それぞれの1行目は「私が…

『三つの時刻』

『三つの抒情』の男声版の話を見かける度に、最初から男声合唱である『三つの時刻』をやれ、と思うのだが、そうは言っても、という面もある。全体で6~7分の短い曲なので、ステージ構成に融通を利かせられるような団体でないと取り上げづらい。それでいて、…

『縄文土偶』の詩を読んでみる(3)

tooth-o.hatenablog.com tooth-o.hatenablog.com 見返してみて消化不良感は否めないが、現時点の理解はこうしたものになる。 ここまでで触れていなかったポイントを並べてみる。 「花」「化石」といった言葉については『縄文連禱』が参考になる(一致すると…

『縄文土偶』の詩を読んでみる(2)

tooth-o.hatenablog.com 見返してみると、だいたい『ふるさと』について書いていた。『ふるさと』については諸々の比喩を潜り抜けて状況を読み解こうとした、と言えそうに思う。『王子』では状況というか、「ついに王となることのない王子」の意味は一応分か…

死ぬほど長く暑い夏の終盤に

tooth-o.hatenablog.com お江戸コラリアーずの演奏会があったために、しばらく『縄文土偶』について考えていた。詩句からの連想は『縄文連禱』や『虹とリンゴ』にも飛んで、いくつかその中から気づくこともあった。特にここの関心の中心である『虹とリンゴ』…

『縄文土偶』の詩を読んでみる(1)

クール・ジョワイエのCD『いのちのうた 男声合唱による三善晃の世界』を通じて知ることになった『縄文土偶』だったが、20年ほど聴いてきてもまだ、詩も曲もよく分からないという感じがあった。今回お江戸コラリアーずによる演奏を聴けるというので改めて詩を…

『十一月にふる雨』を演奏することについて

お江戸コラリアーずが多田武彦の男声合唱組曲『雨』を演奏する際に『十一月にふる雨』を演奏したことについて。 男声合唱組曲『雨』の4曲目が『十一月にふる雨』から『雨 雨』に差し替えられた経緯についてはよく知らない。『十一月にふる雨』については多田…

合唱団お江戸コラリアーず 第17回演奏会

平成30年8月5日 文京シビックホール 大ホール エストニア・ラトビア建国100周年を記念して 男声合唱とピアノのための『縄文土偶』(三善晃) 男声合唱とピアノのための『うたうべき詩』(信長貴富) 男声合唱組曲『雨』 名の通った実力派の男声合唱団が『縄…

『《黄金の魚》1923』

『クレーの絵本 第2集』の3曲目。当時何を思ったわけでもないけれども、初めて実演で聴いた三善晃の曲だと思う。 ABABコーダ、という形をしていて、2回目のAの始めの音量とBの最後のトップテナーの音くらいが最初のABと2回目のABの違いになっている。 コーダ…

「地表の背律と不合理」

背律、不合理と呼ぶからには、当然そうであって欲しくないという思いがある。 tooth-o.hatenablog.com 例えば『黒い王様』は、「『おなじひとつのほしのうえ』に『おなかをすかせたこども』がいるのに、『おうさま』はおなかがいっぱいなのがかなしい」とい…

『三つの夜想』の気になるところ

『三つの夜想』は長く聴いていてもまだ複雑で、見通しがあまり良くない印象がある。それで近頃は改めて聴き返したり、楽譜を見直してみたりしている。 「何も知らない(心にも)」(『淡いものに』)と「あけぼのの(雲をみても)」(『ある肖像』) 「どう…

『クレーの絵本 第2集』追記

tooth-o.hatenablog.com おそらく、三善晃は「生の哀しみや痛み」を男は引き受けるべきである、また、男は泣き言を言うべきではない、という考えを持っていたのだろう。このようなスタンスをどう見るか、というのは別の問題としては残る。

『クレーの絵本 第2集』

男声合唱組曲『クレーの絵本 第2集』は、三善晃の数少ない男声合唱曲のひとつ。比較的取っ付き易い譜面であることから時々演奏されているようだが、録音は案外と少ないように見える。シンプルな楽譜に見えて、この曲は不思議と近づき難い。皮肉と逆説が続く…

『鳥のうた』

林光の『鳥のうた』(「混声合唱、ピアノ、1対の笛のための」)は、抜粋で演奏したことがあるのだが、今年の混声六連で初めて全曲の演奏を聴くことができた。 楽譜の前書きによれば、 『鳥のうた』(1982)は、前作『木のうた』(1980)と同じく、ジェルジ・…

松原混声合唱団第23回演奏会

平成30年2月25日の松原混声合唱団の演奏会。 『海を想う』(新実徳英) 『大江山絵詞』(鈴木輝昭) 『変化嘆詠』(三善晃) 『二つの祈りの音楽』(松本望) 全体的に、悪くはないけど退屈、という印象。第1ステージの印象は全く残らなかった。第2、第3ステ…