2010-01-01から1年間の記事一覧

『三善晃の音楽Ⅳ』購入

まだあまり丁寧に聴いていない。 『聖三稜玻璃』と『鏡』は三つ目の所有音源、『黒の星座』は弦楽四重奏では二つ目。

バッハのモテットのCD

集めているつもりもないのに6枚くらいある。

『無伴奏ヴァイオリンソナタ・パルティータ』

ECMから出ているギドン・クレーメルの演奏。 ギドン・クレーメルはアストル・ピアソンラが流行った頃にNHKの番組で見かけて興味を持ったのだった。『ブエノスアイレス午前零時』を演奏していて、演奏者が順番に入ってきたとか長いグリッサンドがあった…

『或る死に』のこと

『或る死に』はよくわからないという感じを持っていたが、あるときこの曲が弔辞のイメージと重なった(もともとたいとるからそういうものだが)。語られている相手があって、相手には言葉がとどかない、というようなこの感触は、『その日―August6―』と似てい…

『三つの夜想』

『五つの詩』、『田園に死す』、『三つの夜想』の3曲(『五つの詩』はギター、他2曲は合唱曲)は作曲の時期も近く、印象も似たものに感じていた。毎年夏の終わりから秋にかけて、この3曲を聴きたい気分が強くなる。 今年は暑い時期が長かったためか、そう…

感動とか

合唱を聴いて感動することについて、多少の不安と不信がある。割と安易な手管でどうにかなってしまうのではないかと。 手っ取り早くは、小林秀雄(『落葉松』の)の「コトバの働きを歌いなさい」という方針でやれば格好はつく。もっと手を抜くなら、これとい…

つづきのつもり

その音高に対応させられた意味が宗左近と歌い手や聴き手の距離なんだろう。

『シャボン玉』の「雲は」「夢は」「秋は」の部分では、音高に呼びかけの方向性が対応している。

『虹とリンゴ』の三曲目、『シャボン玉』で、冒頭の「雲は〜」の上行する旋律が「夢は〜」とその後の「秋は〜」の部分でそれぞれ変形されて現れる。上行の動きは問いかけの形で、「秋は」のところでは「答えはしないのです」に対応して、他の部分のようには…

『伝説』は美しい曲だけれども、演奏したがる合唱団は少ないだろう。そもそも音もリズムも難しくて演奏できる団体自体あまりいないだろうし、合唱が主役でない曲は基本的に好まれない。

ここしばらく『21世紀の合唱名曲選』のCDで、尾形敏幸の『もし鳥だったなら』を聴いていた。数年前にこのCDを入手して、この曲を初めて聴いたのだったが、その時すでに「懐かしい」という感覚だった。あまりいい意味ではなくて、尾形の曲らしさという…

新実徳英の多くの曲に対して、計算で作ったような感じと身も蓋もない割り切りが感じられて、いかにも工学部出身という印象を持っている。『白いうた 青いうた』について、100曲を目標と言っていたが、旋法とリズムパターンから組み合わせ論的に言っても余…

『その日―August6―』の夏

『その日―August6―』で歌われる夏の気分は、自分にとっては夏の始まりに近い。こちらの曲では夏の太陽が「その日と同じ」であるのは谷川と三善(と歌い手)だけで「子どもたち」には関係ない。そのことは多分「記憶は無数の文字の上で/鮮度を失いかけている…

梅雨が明けた後のほんの数日だけ、夏が始まったことに気分を良くしていた。その後はもう夏が重いというか、夏の終わりに向かう途中のような気分になってしまった。(夏至は6月なのだから、夏が始まったときにはもう日が短くなりだしているわけだ) こうなる…

『動物詩集』

なぜかそれほど好きではない曲。好きになろうとして一時期かなり繰り返し聴いたのだが。 完成までの経緯がなにやら複雑だ。まず『ゴリラのジジ』が女声合唱曲として単独で作曲されて、1978年に初演されているらしい。『動物詩集』としては1983年、混…

近所のお祭りでなんか沖縄っぽい祭囃子をやっていた

林間学校で歌った『夏の思い出』のことを思い出した。尾瀬じゃないっての。 あるいは合唱部で参加した合唱祭。何で札幌オリンピック? 別の合唱祭で『筑後川』。悪いとは言わないが。 地元の売りがない所は大変だ。

ハルモニア・ムンディの29枚セットを買ってしまった

タワーレコードで6,000円で売っていたので。RIASのクリスマスオラトリオやヘレヴェッヘの何枚かをすでに持っていたために、かえって「演奏については保証済み」という印象になり、購入の決め手となった。

『ふら・ふろ』3巻

終わってしまった。日々の支えが一個なくなってしまったように感じる。

三善のヴァイオリン・ソナタについて、尾形敏幸が非常に高い評価をしていたのを読んだことがあった。 自分としてはあまり得意ではないというか、どのCDを聴いてももっといい演奏ができるのではないかと思ってしまう。高音がキンキンうるさいという印象があ…

ワールドカップ

メキシコは結構好きなのだが、前の大会のメキシコはちょっと時代から置いて行かれた感じがした。今回はちゃんと時代に追いついたように思うし、ちゃんとメキシコのサッカーだ。勝ち残ってほしい。 メッシをまともに見たのは初めて。あのドリブルなんで止まら…

四部作は『響紋』の「そこぬけぬ海も/そこぬけぬ空も/そこぬいてたもれ」を受けたものと見ることができるだろう。「(風のなかの/波のなかの/雲のなかの)骨」に対して死を受け入れる成り行きを示しているのだと思う。

『虹とリンゴ』と『その日―August6―』に対して、何となく近い感覚をもつ。シンプルな形がそのまま差し出されるような印象。 音の形の方が合唱であることよりも重要で、そのために和音を聴かせる部分は非常に限られている。

『どきんどきん』(『やさしさは愛じゃない』)

22小節から27小節の、男声と女声のリズム・音量のずれが面白い。どう思いついたのがまるで想像がつかない。

今年のゴールデンウィーク

今年は混声六連だけ。トウキョウ・カンタートとか行きたかったが。 混声六連については、今年の選曲は全体に今ひとつと思った。アカデミーが信長貴富、楽友が團伊玖磨の『筑後川』、GHが「マリアへのオマージュ」と称して4曲、柏葉がまた信長貴富、早混が…

『ELEGIA』(木下牧子)

以前あるコンサートで2曲目の『春のガラス』を聴いたことがあり、軽く、少し憂鬱な曲という印象を持っていた。嗜好としてはまあまあ好ましい、というところだった。 CD『邪宗門秘曲』で全曲を聴くことができた。いくらか意外だったのだが、その憂鬱な感覚…

『コスモスのうた』

この曲も長い間よく分からんという感じだったが、先日の晴れて暖かい時に、気がついたらしっくりと納得がいった。 「ちょうちょうが」「かあさんも」の転調と高音と、その後の「およぐから」「わらうから」の進行に驚きがあって、演奏もそこの鮮やかさで勝負…

『かいだん Ⅰ』

『詩の歌』の4曲目。 最近この曲が不思議なほど好きになった。男声による開始や「算数を」のアルトの動きや光が差すような転調がいちいち好きだ。 この曲の清潔感は、組曲の中でも特別な、怖さのようなものを感じるものだと思う。

「理想の演奏」

池辺晋一郎が『ブラームスの音符たち』の中で、どんな演奏を聴いても満足できず、自分の中で思い浮かべる演奏が最高に思える場合がある、ということを書いていた。(たしかヴァイオリンソナタの話だった) 自分はどうか、と思うと、『交聲詩 海』と『その日―…

楽譜の記号について

三善晃の曲は音量や表情などの指定が細かくて、演奏者は必死になって再現したりそうでもなかったりする。 時には一つの記号が周辺の表情をすっかり決定してしまうこともある。『地球へのピクニック』の「ここで一緒に坐つてしばらくの間/涼しい風に吹かれよ…

『人魚』(鈴木輝昭『梟月図』)

鈴木輝昭の曲には興味はあるけれども、好きだとはっきり言えるのは『梟月図』だけのような気がする。第1曲の『人魚』は、この曲集中でもさらに最も好んでいる。 反復する音が波を表現するが、それが八分音符と三連符で重ねられることで劇の大道具かなにかの…