合唱
『王孫不帰』の詩について、楽曲とも見合わせながら考えてみる。 詩の全体は3つの部分、第一に過去から現在に至る状況を語る部分、第二に語り手の意思が表れる部分、第三に木を樵るまたは機を織る音、から成ると見ることができるだろう。冒頭から「家に居て…
トウキョウ・カンタートでチラシを見かけて、気になっていた。 第1ステージの『やわらかいいのち三章』は、CDは持っているもののあまり聴いてこなかった曲。言葉数の多さが何となく負担に感じられてきたけど、CANTUS ANIMAEの演奏は曲の表情や動きを明快に表…
最近になって、ようやく『嫁ぐ娘に』の楽譜を購入した。私的な感覚として、「嫁ぐ」の語感がすでに何となく受け付けないところがある。 『戦いの日日』はソロが多用されているけれども、これがどういうことなのか、というのが気になり出した。冒頭と結尾はナ…
半音の下降が長く続く部分がある。『あやつり人形劇場』が頭から漏れたのはこれがバスだけの動きで、他の2曲のように平行に動くパートがなく音としての印象が薄かったため。 この動きが何なのか考えてみたが、多分「階段を下りる」ということだろう。「階段…
『遊星ひとつ』は3拍子で始まり4拍子で終わる。 『INITIAL CALL』はまどろむようなハミングによる前半から、「友だちおるかい」の呼びかけに入る。この時の言葉は、自ら発するというよりはどこかから聞こえてくるもののように感じられる。 これに対して、『…
『君をのせて』は合唱のアレンジでも結構歌われてるようだが、正直、曲としては退屈だと思う。歌詞も、「さあ出かけよう」つまりまだ出発してもいない。空疎だ。 実際のところエンディングに求められるのはこの中身のなさで、この期に及んでひと悶着あっても…
歌詞と旋律は単に合ってれば優れているということでもなく、作曲家はその間に齟齬を設けて、音と言葉の間の距離感に意味を込めたりする。林光のメロディーはどことなく調子はずれな感じがあって、そこに生じる違和感に批評的な感覚が仕込まれている。この感…
どうも、三連符に意味が与えられてるような気がする。 『夏』の中間あたりが一番はっきりしていて、「宇宙のあちらでは/何かのお祭りの最中でしょうか」の所では、左手が三連符・六連符で動くのに対して、合唱とピアノの右手が八分音符単位の動きとなってい…
http://d.hatena.ne.jp/tooth-o/20160510/1462887424 から。 つまり、「丁東」が翁に、「きりはたり」が媼に対応している。これらを、翁の演技、媼の演技として見ることができるのではないか。 「きりはたり」「丁東」は曲のかなり早い段階で出てくるが、演…
楽譜を見てみると、「夜が真昼」の所は長三和音の平行移動が多用されている。あのぎらついた響きは、一つにはこの音の使い方によるのだろう。 ところで、演奏会当日に購入したPVDのCDを聴いてみたが、『宇宙への手紙』の演奏には当日の『夜と谺』に似た感触…
この曲は『地球へのバラード』の中でもっとも危うい局面なんだが。
ダイナミクスしかない演奏、という印象だった。もちろん音は正しく出ているのだろう。そこから何を思いようもない演奏だと感じた。 『王孫不帰』の演奏はこうした事態になりがちなのではないか。 実演に接するのは2回目でしかないのでほとんど思いつきのよう…
こんなことになると思ったよ、という演奏。 演奏の水準はまあ高い。指揮者の音に対する感覚も特異なものがあるのだと思う。 この演奏で、「苦しみという名で呼ぶことすらできぬ苦しみ」はだれのものだったか。苦しみに共感しようがない、ということが大事な…
今この曲を演奏する意味って何だろうね、という気はした。今の人間が70年前後の文脈でものを考える必要って? 「反戦」だから何でもいい、になっていないか? というわけで、意識してただ美しさだけを聴こう、と思った。実際、美しい演奏だったと思う。そし…
当日のお目当てではあったが、『夜と谺』の演奏があまりに圧倒的で、後のことが不安になりながら待ち構えていた。 前ステージほど突き詰めた感じではないが、良い演奏だったと思う。耳を聾する音量の後で、比較ではなく別の音楽であることを示せていた。 ア…
正直なところ、この曲は甘く見ていた。カメラータ・トウキョウのCDで聴いており、楽譜も入手してはいたが、勝手な思い入れを会場に持ち込んだあげく、結局自分には関係なかった、という感覚を持つのではないかと思っていた。 樹の会の演奏は、恐ろしいものだ…
おそらく今回の企画の目玉だっただろうこのステージから。ピアノリダクション版と言えどもこの曲が演奏されるというのは大変なことだ。 楽譜を買ったのでちょっと中を見てみたが、容易には手が出せない。記法の一部は扱いをきっちり詰めないと困りそうな様子…
また大分日が空いてしまった。 今年のカンタートは三善晃の戦争にまつわる合唱曲を集めたコンサートをやるということで、曲目を見ればまああきれるばかり。 5/3(火・祝)5:00PM開演(4:30PM開場) すみだトリフォニーホール 大ホール 2群の女声合唱、1群の…
なぜか知らないが、『動物詩集』は結構複雑な経緯で出来上がっている。確か、まず『ゴリラのジジ』だけが女声合唱で作曲されて、その後混声合唱のために『動物詩集』としてまとめられた時に『ゴリラのジジ』も混声に編曲されて、さらのその後『動物詩集』の…
お決まりの「対象構造」が語られてしまうわけだ。が、そんなの言われても困ってしまう。3曲目、7曲目のほとんどまんまなコラールと5曲目、9曲目がコラールの変奏だからで同カテゴリにされても聴いている感じとしてまるで別物だし、その5曲目と9曲目が対応し…
聴きに行ったので。 12月23日(日) 『三つの不思議な仕事』(池辺晋一郎) 『Jazz Folk Songs for Choirs』(Bob Chilcott) 『合唱のための十二のインヴェンション』より(間宮芳生) 『Jesu,meine Freude BWV227』(J.S.Bach) 『三つの不思議な仕事』は…
新しいうたを創る会の演奏会に行ってきた。(平成24年2月26日 新しいうたを創る会 第15回演奏会<合わせる声の新しい世界>) 曲目は間宮芳生の『焼かれた魚』と西村朗の新作の室内オペラ。 新しい合唱団の、いかにも田中信昭の手兵というクリアな音がうれし…
先日の樹の会が、浦和一女の演奏で聴いた高校のとき以来の女声合唱版だった。ものすごく久しぶり。 「激しいのに やさしいとこがあるし」の部分。「激しい」/「やさしい」の対照ばかり目立つけれども、「とこがあるし」のところが面白いというか、手ひどく…
土曜日のAプログラムは都合がつかなかったが、Bプログラムを聴きに行った。 『やさしさは愛じゃない』より(樹の会ユースクワイア〜奏〜) 『動物詩集』(女声アンサンブルJuri 浅井道子) 『一人は賑やか』(Nekko Male Choir 浅井道子 服部真由子) 『三つ…
今更なのだけれど単純に、「わたし」と「きみ」は自身の意識と体、くらいに思っていいような気がしてきた。
学生の頃、この曲の初演時の演奏のテープが入手できて(初演時とはタイトルが変わっている)かなり繰り返し聴いた。楽譜を見てみると、当初はスキャットだったところに歌詞が当てられていたりして、知らなければ普通なのだろうがちょっと不自然に感じたりも…
三善晃の男声合唱曲の中では、分かりやすい楽しさのある曲。つまりバカになって叫べるってことだけど。その一方、四手ピアノということで取り上げるには結構ハードルが高い。 もともと男声合唱団は多田武彦のおかげもあって、最小限の活動規模で成立しうる。…
混声六連の合同曲だった。昔CDで聴いたが、あまり覚えていなかった。 正直、今歌う曲という気はしない。単純なところでは「人知の愚かさ」とか「人間悪」とか何様、とか。 とはいえ、すごい演奏だった。浅井先生お流石、という感じ。そうして聴かされてみ…
5月7日の演奏会に行ってきた。 東京大学柏葉会合唱団(三善晃『木とともに 人とともに』) 『生きる』はどうも苦手な曲で、あのベショベショに巻き込まれたくないなといつも思うのだけど、この演奏は良かったと思う。情感を表出する場面と丁寧に語る場面を…
『或る死に』はよくわからないという感じを持っていたが、あるときこの曲が弔辞のイメージと重なった(もともとたいとるからそういうものだが)。語られている相手があって、相手には言葉がとどかない、というようなこの感触は、『その日―August6―』と似てい…