2017-01-01から1年間の記事一覧

『縄文連禱』

もうだいぶ前になるが、東京混声合唱団が三善晃の曲によるコンサートを行って、その中で『縄文連禱』を演奏していた。そのコンサートは聴きには行けなかったが、最近になってたまたまその一部を耳にする機会があった。で、よく分かる演奏という感じがあり、…

『梟の駅長さん』

もともと詩を読まないので、宗左近の詩も特に読むことはない。『炎える母』を図書館で捲ってみたことはあるが、とても読み通せる気がしなかった。あるとき本屋で句集のようなものが安売りしていたので買ってみたが、これもあまり目を通さないままだ。 鈴木輝…

荻久保和明の『レクイエム』を聴いたことがあった

もう曖昧な印象しか残っていないのだけれど。 tooth-o.hatenablog.com この時に少しだけ触れた。 荻久保和明の曲をそれほど好んでは聴かないけれども、テーマの選び方などこの世に現にある地獄のようななところを直截に取り出す鋭さがある。 『レクイエム』…

『変化嘆詠』の楽譜を持ってるが

ずいぶん昔、歌うのはもちろん聴く当てさえない頃に買ったもので、それがいつだったかさえもう覚えていない。1990年代の後半あたりのはずではある。価格が450円、消費税の表記さえないので驚いて奥付を見ると、「初版発行 昭和53年2月25日」となっていた。 …

『ノエシス』

『ノエシス』の初演が1978年で、『クレーの絵本 第1集』と同年だったのだが、この2曲を並べて考えたことがなかった。そんなものだとも思うが。 この曲を収録したCDを持っているのだが、確認してみると20年前のものだった。武満徹の『トゥイル・バイ・トワイ…

『愛の歌』

愛という言葉を扱うような質でもないのに『黄色い鳥のいる風景』のところで持ち出したとき、考えていたのは「はるかな過去を忘れないこと」「いのちをかけて生きること」の言葉だった。格言のようなものは好まないので谷川俊太郎のこの詩句についてもそうい…

『クレーの絵本 第1集』

混声合唱とギターのための組曲『クレーの絵本 第1集』は1978年、早稲田大学混声合唱団により初演された。三善晃の合唱における代表作の一つであり、この後に『クレーの絵本 第2集』、『地球へのバラード』等、谷川俊太郎の詩による作品が続いていくという点…

『曼珠沙華』

『五つの唄』は聴いてみてしんどさを感じるところがある。重苦しい情感にずっと浸り続けるためだろうか。前回も引用した 少年時代からの多くの歳月に、白秋の韻律は私の情感を染め、それは影のように私から離れなかった。それを切り離すように――切り離すため…

『五つの唄』

この時、 tooth-o.hatenablog.com 『五つの唄』が出てこなかったのはどうにも恥ずかしい話だった。この曲の代表的な演奏はCD『三善晃女声合唱作品集 街路灯』のものと思うがこれがあまり好ましいと思えず、また男声合唱の出なので『紺屋のおろく』というと多…

『五つの詩曲』のこと

全曲は聴いたことがない。樹の会のCDには1、4、5曲目が入っていて、聴けているのはこれだけだ。 tooth-o.hatenablog.com を書く前に、女声合唱で何かないかと思ったときにふと「人の知ってる草の名は」の語呂が思い出されてああそうだと思ったのだった。さす…

「無言の風景」を読みながら

CD『三善晃|交響四部作』のブックレットに載せられた三善晃の小文「無言の風景」を読み返す。2009年のこの文章は三善晃の老境を窺わせ、またそこから見える三部作と四部作の姿が語られて、興味深くまた感動的なものになっている。 三部作自体が『レクイエム…

『三つの抒情』の男声編曲の話を見かけて

テーマ云々と言っても歌えれば何でもいいということもある、という話を書いた。男声合唱だと所かまわずいざたてウボイ的な戦いの歌を放歌したりするわけで、テーマもへったくれもない。愛唱するというのはそんなものではある。 『三つの抒情』の男声版は関谷…

テーマ(音楽用語でない)について

『五つの願い』は古いしもういいんじゃないの、という話を前に書き、このごろまた書きかけたり、いや別に書かなくてもいいかと思ったりしていた。考えていたのはこの曲の時代性やテーマについてだった。 たとえば三善晃の『レクイエム』を「日本人の書いた最…

三善晃と五七五

tooth-o.hatenablog.com 昨年のこのコンサートは、選ばれた曲の圧倒的なボリュームと貧相なコンセプトによりバランスの悪い印象が残った。それで暇な時には遊びで、ではどんな方針でどんな曲を並べるか、と考えてみたりする。 tooth-o.hatenablog.com この時…

『祈り』

大分以前のこと、気の迷いと言っては何だが、全音の『三善晃歌曲集』を2,884円出して買ったのだった。増補改訂版第1擦とのことで、内容は次の通り。 聖三陵玻璃 四つの秋の歌 白く 高原断章 抒情小曲集 三つの沿海の歌 越える影に 祈り 五柳五酒 子供の歌他 …

『伝説』のこと

豊中混声合唱団の委嘱で、1994年に初演された曲。楽譜が1996年に出版されていて、出版されて間もない頃に購入したが、ほぼ眺めるだけだった。 あるとき東京混声合唱団が演奏するというので聴きに行ったが、マイクを通した語りの音が大きすぎ、合唱が非常に繊…

チェロ協奏曲

1996年に第2番として『谺つり星』が書かれたので「第1番」ということになった、1974年のチェロ協奏曲。つまらない話だが、三善晃の最高の作品、と訊かれたらこの曲を挙げると思う。その次は『プロターズ』。合唱で、と言われたら『狐のうた』にするだろう。 …

『だれもの探検』のこと

今回何度かCDを聴きながら楽譜を眺め、詩を読み返してみたが、この『だれもの探検』に対して実に容易ならざる曲という印象が強まってきた。5曲の組曲で楽譜によれば約13分、甍の演奏でも15分ほどの、決して大規模とは言えない曲だが、きちんと演奏するなら難…

『路標のうた』

「弧の墜つるところ」は1985年に書かれた文章で、『レクイエム』を起点と見て以後の創作を自ら振り返るといった内容になっている。『五つの詩』、『三つの夜想』の1985年、と思う。『田園に死す』がその前年の末。これらの曲を思うとき、1985年を三善晃の創…

『だれもの探検』について、とりあえず

と言いつつ、『遊星ひとつ』の話から。三善晃が亡くなってそれほど間がない頃に、作曲家らしい方が『遊星ひとつ』の演奏を聴いて「あの音域で音の配置じゃ汚くなるにきまってるだろ」というようなことを書いているのを目にしたことがあった。それが気になっ…

三善晃の男声合唱曲

自分自身男声合唱から始め、今も時々参加している中であえて露骨に言ってみるが、男声合唱団には独特の恥ずかしさや気持ち悪さがつきまとう、と感じることがある。歌えれば何でもいい的な能天気さ、極端な高音や低音への偏愛、バカっぽさへの同調圧力等々。 …

『第50回甍演奏会』

『だれもの探検』を聴くべきではないか、と思い立ち、CDを購入。「甍」は4つの男声合唱団の合同での演奏会で、この回は『路標のうた』、『だれもの探検』、『遊星ひとつ』と木島始の詩による曲をまとめて演奏するものすごいもの。他にも各1曲の個別演奏の後…

『レクイエム』の作曲まわりの話題

あくまで例えばの話として。 自分の身近な人が自殺を匂わせるようなことを言ったなら、慌てて何とか引き留めようとするだろう。が、それが5年ほども続いたなら、いい加減にしてくれ、と思うようになるかも知れない。さらに、20年続いたなら、そんな風に言い…

「おくれないやうにと」

以前、左川ちかの詩を愛読しているらしい方が『白く』の、特に『Finale』についてあまり納得しないと書いているのを目にしたことがあった。 tooth-o.hatenablog.com ここで書いたような話になるが、とりあえず「おくれないやうにと」がポイントになる。 一つ…

『白く』と『聖三陵玻璃』

三善晃の歌曲は早い時期に作られたものが多い。歌曲集のCDは瀬山詠子の2枚と藍川由美のものが出ていて、瀬山詠子は1991年の『越える影に』や子供のための歌なども演奏していて幅が広い。 『白く』と『聖三陵玻璃』は1962年の曲で、『聖三陵玻璃』が『白く』…

『見えない縁のうた』

『遊星ひとつ』は奇妙な構成の曲というか、『INITIAL CALL』の位置づけが微妙で、『だれの?』とつながっているのか別の曲なのか曖昧だったりするので全体で3.5曲、くらいの印象になっている。さらに『INITIAL CALL』が各曲の途中に音型としても歌詞としても…

『砂時計』

tooth-o.hatenablog.com の、続きのような。 今だと『日本合唱曲全集 嫁ぐ娘に』のブックレットで読めると思うが、『五つの童画』については 詩心をもっとひろやかに、人間と地球全体をくるむ愛を歌う というのがテーマだった。これについて、三善晃が 少し…

『ほら貝の笛』

部屋で探し物をしていたところ、思いがけないところから『五つの童画』の楽譜が出てきた。 三善晃のファン、ということで長らくやってきているのだが、よりにもよってというか『五つの童画』のことがいまだによく分からない。もちろん、延々と聴いてきた分だ…

『ふるさとの星』

Ensemble PVDのCD『三善晃 宇宙への手紙』はありがたいCDで、おかげで『子どもの季節』も聴きやすくなった。『四季に』や『五つの日本民謡』のような難曲もハイレベルな演奏で嬉しい。『宇宙への手紙』も、案外と聴く機会がなく、昨年の『夜と谺』で聞こえた…

『小さな目』と『子どもの季節』

何でも三善晃の創作史に結び付けるのも悪い趣味とは思いつつ。 『小さな目』が1963年、『子どもの季節』が1965年と、子供の詩による曲が比較的早い時期に作られて、ざっと見たところではその後にはこうした曲は無い。また、この2曲についてもスタンスの違い…