「三部作」のこと

『レクイエム』から『詩篇』までにずいぶん年数がかかった、と思ったことがあったが、このように見るのは間違いで、三善晃は多分『レクイエム』を三部作の第一曲として作曲した訳ではない。この一曲、という思いをもっていたはず。

『レクイエム』は死者から生者への告発、みたいな話があったはずだが、この曲を作曲した後で、三善は結局のところ生きていたので、これに答えを返さなければならない、と考えたのだろう。『変化嘆詠』は多分この構図に重なるし、『レオス』は『レクイエム』の死者たちが還るべき永遠、ということだろう。この頃には、『レクイエム』の告発に対し決着をつける曲を書こうとしていたのだろう。
詩篇』はきっと、それに対する断念によって書かれた。三善は「声は、とどきようもない」と書いたが、『詩篇』によってそれを確かめたことで、それまでに試みたのとは違う解決を求めることになったのだろう。