『遊星ひとつ』と3と4

『遊星ひとつ』は3拍子で始まり4拍子で終わる。
『INITIAL CALL』はまどろむようなハミングによる前半から、「友だちおるかい」の呼びかけに入る。この時の言葉は、自ら発するというよりはどこかから聞こえてくるもののように感じられる。
これに対して、『バトンタッチのうた』の後半は強烈な推進力を持った音楽になっている。終盤には『INITIAL CALL』の動きが戻ってくる。最後の「代わりがあるかい」の言葉は、すっかり自分の言葉だ。つまり『遊星ひとつ』の全曲は、どこかからとも知れない呼びかけをいつの間にか受け取り、やがて自ら呼びかけるようになる、という流れをもつ。
『バトンタッチのうた』では、前半の複雑な変拍子から、後半は4拍子に変わる。この変化は最終的な、呼びかける自分への変化と関係するだろう。と、するなら、『INITIAL CALL』の拍子、これはハミングの3拍子から歌詞が入ることで3.5拍子等に変化するが、これにも意味があるのではないか。
3拍子と4拍子に対応する意味を考えてみる。3拍子を楽譜の前書きに言う「空洞の"私"」とするなら、4拍子は「生」ということだろう。もう少し言うなら、ただ生まれたというだけの「私」が、この生を生きるようになる、ということだろう。
このように3と4を見るとした場合、『だれの?』は3と4の間あるいは4+3、『見えない縁のうた』は3×4、だろう。『だれの?』の音楽は目覚めの感触を持ち、詩は誰かから生の意味を与えられていく。最後にその「誰か」も当然に与えるだけの存在ではないことが発見される。『見えない縁のうた』の詩は全体の流れを俯瞰する内容をもつ。
『遊星ひとつ』は、人が呼びかけられる自分、与えられる自分、やがて呼びかける自分、与える自分になっていく、ということを歌っている。それは「甍」という高校、大学、OBという複数の世代が集まる活動にふさわしいものだと思える。