エンディング、アンコール、クロージング

『君をのせて』は合唱のアレンジでも結構歌われてるようだが、正直、曲としては退屈だと思う。歌詞も、「さあ出かけよう」つまりまだ出発してもいない。空疎だ。
実際のところエンディングに求められるのはこの中身のなさで、この期に及んでひと悶着あっても困るわけだ。
アンコールに選ばれる曲もそういう面がある。『大地讃頌』をやったこともあるが、この曲もなにを歌っているというほどのこともない。あるいは、意味の上で展開がない。元より『土の歌』の終曲であって、言うべきことは一通り語り終えた後だ。
で、『鳥』。この曲も空漠とした雰囲気、意味の広がっていかない感覚がある。三善晃の曲のみによるコンサートは幾つも行われてきているが、そうした場でアンコールとして歌われる頻度も高い。
だが、違うのだこの歌は。少なくとも、それだけで終わる曲ではない。特異な企みと、通過するべき点としての位置づけをきちんと見なければいけない。