合唱

『三つの夜想』

『五つの詩』、『田園に死す』、『三つの夜想』の3曲(『五つの詩』はギター、他2曲は合唱曲)は作曲の時期も近く、印象も似たものに感じていた。毎年夏の終わりから秋にかけて、この3曲を聴きたい気分が強くなる。 今年は暑い時期が長かったためか、そう…

感動とか

合唱を聴いて感動することについて、多少の不安と不信がある。割と安易な手管でどうにかなってしまうのではないかと。 手っ取り早くは、小林秀雄(『落葉松』の)の「コトバの働きを歌いなさい」という方針でやれば格好はつく。もっと手を抜くなら、これとい…

つづきのつもり

その音高に対応させられた意味が宗左近と歌い手や聴き手の距離なんだろう。

『シャボン玉』の「雲は」「夢は」「秋は」の部分では、音高に呼びかけの方向性が対応している。

『伝説』は美しい曲だけれども、演奏したがる合唱団は少ないだろう。そもそも音もリズムも難しくて演奏できる団体自体あまりいないだろうし、合唱が主役でない曲は基本的に好まれない。

ここしばらく『21世紀の合唱名曲選』のCDで、尾形敏幸の『もし鳥だったなら』を聴いていた。数年前にこのCDを入手して、この曲を初めて聴いたのだったが、その時すでに「懐かしい」という感覚だった。あまりいい意味ではなくて、尾形の曲らしさという…

『その日―August6―』の夏

『その日―August6―』で歌われる夏の気分は、自分にとっては夏の始まりに近い。こちらの曲では夏の太陽が「その日と同じ」であるのは谷川と三善(と歌い手)だけで「子どもたち」には関係ない。そのことは多分「記憶は無数の文字の上で/鮮度を失いかけている…

『動物詩集』

なぜかそれほど好きではない曲。好きになろうとして一時期かなり繰り返し聴いたのだが。 完成までの経緯がなにやら複雑だ。まず『ゴリラのジジ』が女声合唱曲として単独で作曲されて、1978年に初演されているらしい。『動物詩集』としては1983年、混…

『虹とリンゴ』と『その日―August6―』に対して、何となく近い感覚をもつ。シンプルな形がそのまま差し出されるような印象。 音の形の方が合唱であることよりも重要で、そのために和音を聴かせる部分は非常に限られている。

『どきんどきん』(『やさしさは愛じゃない』)

22小節から27小節の、男声と女声のリズム・音量のずれが面白い。どう思いついたのがまるで想像がつかない。

今年のゴールデンウィーク

今年は混声六連だけ。トウキョウ・カンタートとか行きたかったが。 混声六連については、今年の選曲は全体に今ひとつと思った。アカデミーが信長貴富、楽友が團伊玖磨の『筑後川』、GHが「マリアへのオマージュ」と称して4曲、柏葉がまた信長貴富、早混が…

『ELEGIA』(木下牧子)

以前あるコンサートで2曲目の『春のガラス』を聴いたことがあり、軽く、少し憂鬱な曲という印象を持っていた。嗜好としてはまあまあ好ましい、というところだった。 CD『邪宗門秘曲』で全曲を聴くことができた。いくらか意外だったのだが、その憂鬱な感覚…

『コスモスのうた』

この曲も長い間よく分からんという感じだったが、先日の晴れて暖かい時に、気がついたらしっくりと納得がいった。 「ちょうちょうが」「かあさんも」の転調と高音と、その後の「およぐから」「わらうから」の進行に驚きがあって、演奏もそこの鮮やかさで勝負…

『かいだん Ⅰ』

『詩の歌』の4曲目。 最近この曲が不思議なほど好きになった。男声による開始や「算数を」のアルトの動きや光が差すような転調がいちいち好きだ。 この曲の清潔感は、組曲の中でも特別な、怖さのようなものを感じるものだと思う。

楽譜の記号について

三善晃の曲は音量や表情などの指定が細かくて、演奏者は必死になって再現したりそうでもなかったりする。 時には一つの記号が周辺の表情をすっかり決定してしまうこともある。『地球へのピクニック』の「ここで一緒に坐つてしばらくの間/涼しい風に吹かれよ…

『人魚』(鈴木輝昭『梟月図』)

鈴木輝昭の曲には興味はあるけれども、好きだとはっきり言えるのは『梟月図』だけのような気がする。第1曲の『人魚』は、この曲集中でもさらに最も好んでいる。 反復する音が波を表現するが、それが八分音符と三連符で重ねられることで劇の大道具かなにかの…

『東京混声合唱団/現代日本の合唱曲1996』

東京混声合唱団は1995年と1996年の委嘱作品を、『現代日本の合唱曲1995』、『現代日本の合唱曲1996』としてCD化していて、当時はこの調子で毎年出るのかと期待したがそうではなかった。 『1996』に収められているのは 鈴木輝昭『オーダエ カルミヌム』 猿…

『クレーの絵本/三善晃作品集4』

ちょうど10年前のCD。『詩の歌』、『クレーの絵本 第1集』、『地球へのバラード』の3つの曲集が収められている。 『詩の歌』の演奏が正確で、清潔感がある。曲の細部に安心して耳を向けられる。『クレーの絵本』は第3曲『幻想喜歌劇「船乗り」から格…

『ルーティーン』(湯浅譲二『問い』)

ラジオとかから流れてくる歌が「ありがとう」「ありがとう」とうるさいのでいらいらしている内に、この曲が何だったのか分かったような気がした。http://www.asahi-net.or.jp/~HE8T-MED/index.html http://www.asahi-net.or.jp/~HE8T-MED/composer/Y/yuasa.h…

『三つのイメージ』

あまり聴いてこなかった曲。詩が嫌だった。「燃えないゴミを押し付けるにあたって『贈る』とか言っとけばこっちがありがたがるとでも思ったか」とか、そういう感じ。 初演時に出演された方がこちらでその時の話をお書きになっている。語りについて三善晃と岩…

『交聲詩曲 波』は雑な作りに聞こえる部分もある

表情のはっきりしたブロックが結構強引に接続されている感じがする。これを演奏でどうにかするのは大変そうで、『三善晃の音楽Ⅲ』は何とかしていたがその分各部分の表現はまだ何かができそうに思えた。 多分「遠くの眼の遠く」で言う「遠く」という感覚が重…

耕友会による『鳥のために』

CD『光をまもるために 耕友会コンサート Vol.5』を購入。『鳥のために』から聴いているが、やっかいな曲という感じがする。 第1ステージであることや録音の問題などについて留保は必要なのだが、どのように演奏すればいいかよく分からないか、迷っている…

『三善晃の音楽Ⅲ』の『その日―August6―』

『三善晃の音楽Ⅲ』では『その日―August6―』はMIYOSHI AKIRA Chorus、合唱団響と樹の会、耕友会の合唱、寺嶋陸也のピアノによる演奏となっている。三善晃の75歳を記念する演奏会の中で、この曲は近作の披露という意味合いがあっただろう。このCDについて…

『その日―August6―』の2つの演奏

『その日―August6―』の演奏が、カメラータ・トウキョウ『三善晃の音楽Ⅲ』とフォンテック『木とともに 人とともに』の2枚のCDに収録されている。 『三善晃の音楽Ⅲ』の方がしっかりした演奏なのだが、東混の声を客体的に扱うようなスタンスがこの曲にはそれ…

『虹とリンゴ』のクラスター

『虹とリンゴ』では合唱がクラスターを鳴らし、その後をピアノが音階や分散和音的な動きで受ける形が冒頭と最後の部分に現れるが、これは調性感の失われたクラスターからピアノが音階を取り出すことで分光を表現しているのだろう。

『響層Ⅰ』

Ensenble PVDのCD『響層Ⅰ』を購入。 『優しき歌・第二』(柴田南雄) 『五つの日本民謡』(三善晃) 『芭蕉の俳句によるプロジェクション』(湯浅譲二) 柴田と湯浅は東混の、三善は晋友会のCDがあったが、いずれも容易に演奏できないので、新たな音源が…

『交聲詩曲 波』からの連想

『交聲詩曲 波』を聴いて連想したのが、「ずいずいずっころばし」、黒人霊歌、新実徳英と高嶋みどり、『大地讃頌』だった。 「ずいずいずっころばし」は童声合唱の旋律から。黒人霊歌はその童声合唱の先行と合いの手的に入る混声合唱のリズム感のためで、新…

『五つの願い』

過去の曲と前に書いた『五つの願い』だが、『春だから』と『空に小鳥がいなくなった日』は思いがけない音が鳴って楽しい。 一方で、やっぱりこの詩は古くさいかな、という印象は変わらない。「電話」と「忘れた歌」というつなぎ方はもう無意味だし、「みんな…

混声3部合唱とピアノのための組曲『クレーの絵本 第1集』

フォンテックのCD『木とともに 人とともに』を購入したので。 児童合唱でもこんなの歌えるのかというような曲を作っている三善晃だが、この曲は中学生のクラス合唱なども視野にいれたものなのだろうが、特に音域の面であまり厳しくないようだ。 そのためた…

「未来線」「希望線」

『交聲詩曲 波』の詩に「未来線」・「希望線」という言葉が出てくる。 「何?」という感じの造語だが、『海』を前提に置くならこれも分かる。 『海』の構図を「くるめきでる水平線」の向こうにもう一つ配置するなら、元の位置からはその向こうで「ふるさとよ…