なぜか知らないが、『動物詩集』は結構複雑な経緯で出来上がっている。確か、まず『ゴリラのジジ』だけが女声合唱で作曲されて、その後混声合唱のために『動物詩集』としてまとめられた時に『ゴリラのジジ』も混声に編曲されて、さらのその後『動物詩集』の女声合唱版が出来た、とかそんな流れだった。このため、『動物詩集』は混声版でも女声版でも全部が元々の編成とはならないという、ちょっとねじれたことになっている。
女声版の『動物詩集』については、『ゴリラのジジ』だけしか聴いたことがない。ただこの1曲だけはかなり繰り返し聴いたので、混声で聴くと男声がやや居心地悪そうに聞こえる。これは、『五柳五酒』の合唱編曲で時々女声の合いの手が微妙な感じに聞こえるのと似た事情ではある。
もともと女声合唱だった『ゴリラのジジ』は、女声とピアノでだいたい十分ではあっただろう。男声の居場所は、特にリズムの上ではあまりなさそうで、やや単純な動きになっているように思う。
詩にはジジが恋を打ち明ける前と後、そして詩が語られている現在の3つの時点が示されている。ジジの告白を通じて従前のキャラクターに傷が付いて、それを今の語りで救い出そうとしているのだろう。このあたりは冒頭のフレーズからかなり明白に描写されているようでもある。「愛される」の重さと「なかったのです」の軽さが印象に残る。さらに「やさしいとこがあるし」の甘い調子などはあざといとも思える。
男声のスタンスはこれに対置される。『ゴリラのジジ』での男声の歌は、自分を悪罵する振舞いでその実自らを救い出そうとする態度への、嘆きの声なのだろう、