『三つのイメージ』

あまり聴いてこなかった曲。詩が嫌だった。「燃えないゴミを押し付けるにあたって『贈る』とか言っとけばこっちがありがたがるとでも思ったか」とか、そういう感じ。
初演時に出演された方がこちらでその時の話をお書きになっている。語りについて三善晃岩城宏之の間で意見の食い違いがあったというのが面白い。

三善先生はあくまで自然な「語り」であるように、リズムを刻むような風にはしてほしくなかったようです。
が、岩城マエストロはテンポ,リズムを正確に守るように、と指示。
「しゃべるんだったら合唱団じゃなくて、劇団員を雇った方がいい」と言う事で。
無機質に語る方が、かえって聴く人をどきっとさせる場合があるのだな、と、感心したものです。

演奏家としては、すべて演奏効果の問題として解決しようとするのは当然だろう。
三善の意図は多分、「贈る」という言葉を歌い手が自分の責任で発することだったと思う。そうしなければこの詩は「谷川クソジジイ」で終わってなにも伝えることがなくなってしまう。
『王孫不帰』や『プロタース』などにも見られたが、意外と三善は音楽でない領域に平気ではみ出してしまう。