三善晃と五七五

 

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 昨年のこのコンサートは、選ばれた曲の圧倒的なボリュームと貧相なコンセプトによりバランスの悪い印象が残った。それで暇な時には遊びで、ではどんな方針でどんな曲を並べるか、と考えてみたりする。

 

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 この時は「子供」でまとめることを考えてみたが、その前に思いついたのが「三善晃と五七五」というもの。ここで「五七五」は俳句に限らず、短歌その他五七調・七五調等をひっくるめた標語。

  • 田園に死す
  • 『夜と谺』
  • 『王孫不帰』
  • 『五つの詩曲』
  • 『レクイエム』

田園に死す』は寺山修司の短歌、『夜と谺』は宗左近の句集から採られた複数の歌/句を繋いだもので、その結ばれ方を見ることができる。『王孫不帰』では七五調の開始から「住の江の太郎冠者こそ本意なけれ」を打ち立てる様子を示し、『五つの詩曲』で語調の柔らかさを表現し、最後の『レクイエム』で「いのちしななむ」が出現する驚愕感に全体を集約させる、という感じになる。

密かなテーマとして、『三善晃「レクイエム」』のCD化に際しブックレットに載せられた作曲者の小文「生者と向き会うとき」がある。この文章の中に記載された

私の心と耳は、永遠に石から石への旅を続ける定めを覚悟した。

また

その私の混淆の力学に宗左近さんの反歌が終わりを告げてくれた。

こうした言葉の意味がこれらの曲を通過する中で感じられるようにならないか、というもの。