『砂時計』

 

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の、続きのような。

今だと『日本合唱曲全集 嫁ぐ娘に』のブックレットで読めると思うが、『五つの童画』については

詩心をもっとひろやかに、人間と地球全体をくるむ愛を歌う

というのがテーマだった。これについて、三善晃

少しばかりのフィクシャスな寓意をはさみこんで下さるよう詩人にお願いした。

というのは、実はテーマに対し不服な面があったのではないか、と思う。「人間と地球全体をくるむ愛」なるものや、それを言う人に対する不信を感じたのではないか。三善の願いは自分にはむしろ、そんな「愛」などありえないと突きつけたい、悪意に似たものに思える。

そんな三善の願いに対し、『風見鶏』『ほら貝の笛』『やじろべえ』で高田敏子は、実際に何の希望もない図を描いて見せた。愛も信頼も届かない局面はある、と『五つの童画』は始まり、続く。

終曲『どんぐりのコマ』が描く世界もまた悲惨だ。みんなが望んでも、樫の木になれるのは「いちばん大きなどんぐり」だけだ。ただ、そこに向ける視線は先の詩とは異なった色合いをもつ。そして、これらの間に、『砂時計』が置かれている。

『砂時計』の詩は、他の四つの詩とは違っていると感じる。『五つの童画』の詩は全編を通して皮肉や逆説的な語り方がなされていて、それは『砂時計』も同様だが、この詩ではそれが悲惨さを示さない。「時」は「だれも釣れない」が、「いなくなって」もいない。それは逆説であるだけで、あるいは悲しいのかも知れないが、ただ悲しいだけでもない。

三善晃は「屈曲したあたり」と言うのだが、そのまさに折れ曲がる急所になぜ『砂時計』の詩があるのだろうか。高田敏子がなぜこの詩をここに置いたのか。

思いつきを書いてみる。おそらくこの詩は三善の不信に向けて書かれたのではないか。高田敏子は「愛」に対して三善晃が示した疑念を解いて見せようとしたのではないだろうか。この詩がどのような意味で解答になるのか、これも思いつきでいうなら、不信の経験、不信の瞬間は、明示的には「愛」を否定するとしても、それだけで「いなくなって」しまうことはない、ということではないか。

高田敏子は1914年生まれで三善晃より19くらい年が上だった。親子ほど、とまで言えるかどうか、位の差がある。戦中に大人だったか子供だったか、ということもある。もしかしたら世代的なところで、高田敏子は責務のようなことを思ったのかもしれない。