「おくれないやうにと」

以前、左川ちかの詩を愛読しているらしい方が『白く』の、特に『Finale』についてあまり納得しないと書いているのを目にしたことがあった。

 

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 ここで書いたような話になるが、とりあえず「おくれないやうにと」がポイントになる。

一つの読み方としては、「衰へた時が」「おくれないやうにと」「枯れた野原を」「褐色の足音をのこし」「過ぎてゆく」という形から語順が並び変わっている、と見ることができるだろう。それぞれの語尾のつながりもそれなりに自然になる。

が、三善晃はこうは読まなかったのだろう。三善は多分、「地上の婚礼の終わり」が「衰へた時」に「おくれないやうに」、と見たと思う。「最初は早く やがて緩やかに過ぎてゆく」衰へた時を「地上の婚礼の終わり」が追いかける、だから「おくれないやうにと」からが急速になる。

三善晃がなぜこのようにしたのか、と考えてみた。ただの想像だが、「全く地上の婚礼は終つた」の「全く」という言葉の強さ、それと『Finale』というタイトル自体に詩人の矜持を見たのではないか、それで俯くことのない終わりを書いたのではないか、と思う。