『レクイエム』の作曲まわりの話題

あくまで例えばの話として。

自分の身近な人が自殺を匂わせるようなことを言ったなら、慌てて何とか引き留めようとするだろう。が、それが5年ほども続いたなら、いい加減にしてくれ、と思うようになるかも知れない。さらに、20年続いたなら、そんな風に言いながら生き続ける、という人生なんだな、と思うだろう、と思う。

『レクイエム』の、1977年のライブ演奏を収録したCDのブックレットに「弧の墜つるところ」という文章があって、三善晃はこう書いている。

脱稿するまでの約3週間、日記には、その作曲そのものの難行よりも、自分の願望としての「いのちしななむ」ことしか書いていない。

また、

「レクィエム」を書き終えたとき、それによって死者たちと終に仲間になれない自分の輪郭を描き終えてしまったことに気付いた

 後者について、どこかで引用されているものを読んだのだと思うのだが、長らくどういうことなのか分からず考え続けていた。最初の妙な話はその結果のようなものになる。

引用したところによると、三善晃は3週間にわたって死ぬ、死にたい、というようなことを思ったり書いたりしていた。(後の話として、生きたまま死者の言葉を代弁してよいのかということもあった)であれば(語弊のある言い方になるが)死ねばいいのであって、そのまま作曲を終えたことで、「死にたいと言いながら生き続けている」というのが自分のあり方だと自身に対して証明してしまった、ということだ。

『レクイエム』の脱稿から5日後に結婚した、とも「弧の墜つるところ」には書かれている。正直なところ他人事という気持ちが強いが、「死なない自分」を確信したということかな、と思ったりもする。