2009-01-01から1年間の記事一覧

『麦藁帽子』

時々聴きたくなる。東京混声合唱団の演奏のCDがあるのだが、なぜか春の曲のようなイメージ。悪いわけではないのだが、違う演奏があるべき、という気がする。 作曲されたのが1963年だから、半世紀近く前の曲。そんなに古い感じがしないのだが、たぶん曲…

『手紙』(松下耕『鳥のために』)

楽譜を見ていて気づいたが、2分割のリズムと3分割のリズムがこちらと向こう(歌い手にとっては手紙を書く側が「こちら」)の表現になっている。この対応がかなり厳格で、「あなたの声が」の三連符から始まって中間部から後半の「何もいうことなしと」の表…

『ふるさとの夜に寄す』で「ああ帰って来た」ということばがあって

これも間抜け。「帰って来た」って何だ、と思っていた。「ふるさと」なんだから当然だった。「やさしいひとら」も「ふるさと」の人たちということだ。

『夜と谺』

カメラータ・トウキョウの『夜と谺〜三善晃 合唱の世界Ⅱ』は、90年代の曲をまとめて聴けるありがたいCDだった。合唱団「松江」と合唱団「弥彦」は活動の形態から演奏の精度に限界があるようではあり、またE.S.Pとうたあいによる『五柳五酒』は冒頭の清水…

『ティオの夜の旅』(木下牧子『ティオの夜の旅』の5曲目)

身近な知り合いを見ても、合唱をやっている人間は自分の歌っている詩を気にしないようで、驚くような勘違いが合唱団ぐるみで蔓延していたことがあった。 自分の話にすると、この詩については「あそこへは〜つもりで」が「遠い岸辺の会話」だとか気がつかない…

『無限曠野/銀河街道−柴田南雄後期作品集』ようやく購入

田中信昭による『無限曠野』ということで買わねばと思っていたが近所では売っていなかった。 『無限曠野』については大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団の演奏があるが、今度のCDの演奏は『小垣内の』と『大白道』の構成が工夫されている。CDで聴くと、『…

『五つの願い』は大方過去のものかなと思う

願うだけですむ時代でもないかな、と。あと、『若さのイメージ』とか、こんなこと言われたら若い人は怒っていいんじゃないかな、とも思う。「お前がスモッグでネクタイじゃねーか。いいから靴ぐらいよこせ」とかそんな感じ。 『空に小鳥がいなくなった日』だ…

『霧の果実』への予断のこと

手っ取り早いお話としては、四部作の内の1・2・4曲目はそれぞれ、原爆で消し飛んで死ぬ、戦闘機で突撃して死ぬ、海の底に沈んで死ぬ、という(書いていて滅入ってくるが)ことだろうと思う。三善晃自身の解説も合わせると、『霧の果実』が何でありそうか…

『霧の果実』のチリンチリンという音

やっぱり風鈴を思い起こさせたいのだろうと思う。

『方舟』(木下牧子『方舟』の4曲目)

なんとなくSF的なというか、地球が人の住めない星になって人類脱出とか、そういうイメージを持っていた時期が長かった。多分違う。 『方舟』というタイトル。もちろん「ノアの方舟」を受けているのだが、要するに脱出船で、今度は動物種が丸ごと脱出してい…

東京六大学混声合唱連盟のコンサート

エール交換 『黒人霊歌集』(青山学院大学グリーンハーモニー合唱団) 『心の抄』(法政大学アカデミー合唱団) 『見渡せば』(慶應義塾大学混声合唱団学友会) 若林千春編曲による愛唱歌(早稲田大学混声合唱団) 『邪宗門秘曲』(東京大学柏葉会合唱団) …

『変化嘆詠』

この曲については、長い間よくわからない感じがしていた。ナレーション的な部分の長さや村でのやり取りと変化たちの歌の部分がはっきり分かれていることや、楽器の音の意味合いのような部分などが、まとまりがつかない気がしていた。 この間ふと、楽器の音が…

『四季に』

1966年の曲。CD『三善晃「レクイエム」』でようやくいつでも聞けるようになった。 楽譜を見てもどう思っていいやら、という感じだったが、わりと普通にきれいな曲と思って聴いている。つま先立ちするような緊張感がいいのだけれども、こういう感覚がす…

トウキョウ・カンタートのコンサートを聴いてきた

「合唱曲百花繚乱〜放送局が咲かせた合唱の花花」と題して、以下の曲が演奏された。コンサートⅠ わたしの願い(郄田三郎) 嫁ぐ娘に(三善晃) 美しい訣れの朝(中田喜直) 岬の墓(團伊玖磨) 若人のうた(佐藤眞) 四季(田中利光) 五つの童画(三善晃) …

『三善晃 交響四部作』

21日にタワーレコードで購入。 2,000円で4曲40分一枚なら試しに買ってみようと思う人もあるかもしれないが、4,000円で4曲、40分そこそこ(×2)というのは、普通なら手が伸びない。すごい出し方をしたものだ。 「無言の風景」と題された三善の短文は…

『四部作』のCDが出るらしい

日本伝統文化振興財団から、三善晃の四部作のCDが出る。東京交響楽団と大阪フィルハーモニー交響楽団の2種類の音源を2枚組で、というちょっと変わった形らしい。

『焉歌・波摘み』

子守歌を甘さとして聴いてしまう時もあったが、最近は違うように思えてきた。『ぼく』よりも後の曲と思うとそれなりの見方があるだろう、という気がした。 多分、海に沈んで死ぬ、ということを真剣に死の間際まで想像したときに、本当に子守歌が聞こえてしま…

『「Opus」による5つの断章』(篠田昌伸)

CD『これが俺達の音楽だ』に収録された3曲の中では一番好きなのだが、このCDの演奏はあまりいいと思わなかった。他の2曲も含めて、どういう曲というつもりもなく歌われてしまったように感じる。 70年代とかの曲のように鳴った音をそのまま飲み込ませ…

『地球へのバラード』の音型とか音程とか

散漫なまま『響紋』からは離れて、多分まぬけな話。一時期、日本の合唱団の演奏を聴くのがいやだったことがあって、やや器楽曲を聴くことが多くなった。曲の解説で、この音程がこの動機が展開が発展が云々というようなものを多く読んだように思う。音楽の聴…

ちゃんとやればいいのに

『響紋』の、かごめかごめに由来するところや『レクイエム』から引き継いでいる音型などを調べ上げればいいわけだが、ぐうたらなのでやらない。 やらないで書いてしまうのだが、『レクイエム』から音を引き継いでいることでオーケストラは「告発する死者」の…

かごめかごめの音は

歌詞が変化してきたように、音も変わってきたはず。わずかな音型も、この歌を伝えてきた人たちが望んだり許したり、勝手な思いを託したものなのだろう。

『響紋』の歌詞

たまに誤解している人を見かけるけれど、『響紋』の歌詞は宗左近ではなくて三善晃が書いたもの。宗左近は1820年ごろの童謡集からかごめかごめの歌詞を見つけて三善に送り、三善はそれを元に『響紋』の歌詞を作った。(三善は《鏡に写る声》(これはCD…

何の関係があるかといえば関係なんかないが

三善が弦楽四重奏曲第一番の解説で ソナタに精神なんかありはしない。あるのは形式だけだ。そして形式は精神の形をしている。精神はそれを、アプリオリに承認している。芸術の形式と、それを完成した人間たちのあいだには、そのような自明な関係があった。 …

わらべうたを歌う子供たちをオーケストラが攻撃する、というのは違うのではないか

『響紋』のことだが、こんなことを言ってみても空しい。というのは、たしか作曲者もこんな風に言っていたはず。 でも、違うんじゃないか、三善も「そう思うならそれでもいい」というだけのつもりだったんじゃないか、と思う。 しばらく『響紋』について思っ…

『彩夢』と『五つの詩』から『田園に死す』

『彩夢』には、死に向かって飛び込みかねない強烈な衝動のようなものを感じる。で、『五つの詩』は、その衝動のまま死んでしまうものだと思っていたら生き延びてしまった、というところから書かれているように思う。 これが、「かくれんぼの鬼とかれざるまま…

『無限曠野』(柴田南雄)

『大白道』はこの曲の第6曲。 柴田の曲をそれほど聴いている訳ではないけれど、「重い」という感じを受ける曲はあまり無かったと思う。 この曲ばかりはものすごく重い。正直聴くのが怖い。

また『谺つり星』

『三善晃の音楽』のCDで8分40秒から8分55秒あたりの印象が非常に強い。 ここを聴いて感じるのはブラス的な快楽なんだけれども、この吹っ切れたような感覚は何だろうといつも思う。三善の曲でこういう感じというのは他にはないような気がする。

『谺つり星』だけど

空で死んだ人たちに関わる曲だから「星」なんだと思う。だけじゃ意味不明か。 戦闘機で体当たりするような死に方のことを描いているのだろう。この曲の同音連打はエンジンの音じゃないか。 『大白道』を思い出す。

『風に寄せて』(尾形敏幸)

尾形の曲が好きな人というのは大概高校生のころに『風に寄せて その一』あたりにひっかかってそのままずるずる来てるんだろう、と思っているが、要するに自分がそうだったからで他に根拠はない。高校の頃は本当にはまっていて、今でもAのメジャーセブンス(…

去年と一昨年のトウキョウ・カンタートと、『三つの抒情』

去年のトウキョウ・カンタートで、若手の作曲家の作品を取り上げるコンサートを聴いた。上田真樹、久田典子、鷹羽弘晃の3氏のことは気が向いたら書くとして。 大野愛という人は三善の弟子だったのか、と最近見かけた。コンサートのときには、『眠りの誘い』…