何の関係があるかといえば関係なんかないが

三善が弦楽四重奏曲第一番の解説で

ソナタに精神なんかありはしない。あるのは形式だけだ。そして形式は精神の形をしている。精神はそれを、アプリオリに承認している。芸術の形式と、それを完成した人間たちのあいだには、そのような自明な関係があった。

と書いている。
「形式と、それを完成した人間たち」というところから、形式というのは多くの人が「ああしたい」「こうしたい」と試みた果てにできあがったもの、という納得の仕方をしたのは自分の勝手な読みでしかない。
ただ、三善はいろいろな人の「ああしたい」「こうしたい」の積み重ねとして、歌い継がれてきた歌のことも見ているように思う。黒人霊歌も、かごめかごめも、という風にして、むやみに遠い対比または類比のようにして、自分の中だけでこの話は『響紋』につながっている。