去年と一昨年のトウキョウ・カンタートと、『三つの抒情』

去年のトウキョウ・カンタートで、若手の作曲家の作品を取り上げるコンサートを聴いた。上田真樹、久田典子、鷹羽弘晃の3氏のことは気が向いたら書くとして。
大野愛という人は三善の弟子だったのか、と最近見かけた。コンサートのときには、『眠りの誘い』という作品が演奏されたのを聴いて『三つの抒情』っぽさというのはどうにかならないか、と思った。ぽいもの、の側から『三つの抒情』を乗り越えるのなんか無理だろう。三善は『三つの抒情』っぽい曲を書こうとしたんじゃない。または、ぽいもの、と聞こえたら負け、または聴いたら負け、というか。あの曲の真価は別の所にあって、単にそれを聞き逃したのかもしれない。
一昨年は、信時潔の1964年の曲を演奏していた。『三つの抒情』はこういう曲の間に現れたのか、と思った。松下耕が『三つの抒情』のことを、「この曲から始まった」とたびたび言うけれども、それも当然だ。