『地球へのバラード』の音型とか音程とか

散漫なまま『響紋』からは離れて、多分まぬけな話。

一時期、日本の合唱団の演奏を聴くのがいやだったことがあって、やや器楽曲を聴くことが多くなった。曲の解説で、この音程がこの動機が展開が発展が云々というようなものを多く読んだように思う。音楽の聴き方でも影響が出た。ナントカの主題、のようなまとまった旋律が何度も現れればそれは気づくけれども、もっと細かい音型などが変形されて現れるようなものに意識が向くようになった。

その名残で、『地球へのピクニック』の最後の「ここへーここへーここへーここへーなんどでもー」というのが気になった。これだけ繰り返す音程というのは大概すでに出てきているどこかの何かだ、と思った。「どこかの何か」というだけとんまで、冒頭の「ここでー」がすでにこの音程だった。
ならそれが他の曲でどうなっているかと、なぜか後ろから見返してみると、「ゆうぐれー」であり、「とりは」であって、もとからこの音型は肝心の所に出現していたのだった。『沈黙の名』ではあまり「これだ!」という感じはなかった。
移動ドで長く訓練しているのでこう書くが、要するに「ミソソ」という音型で、これのそもそもの出所はどこか、と考えた。またしても考えるところが間抜けというか、『私が歌う理由』の一番最初のテノールの「るー」がミソの短3度だった。
こういうのは考え出すと結構楽しい。「まかせよう」と「ここでただいまを」のつなぎのドシドシラソミレはまた『私が歌う理由』のバスの最初のフレーズの後半、シラシラソと、『沈黙の名』の「ゆーゆゆゆーゆーゆーゆーゆー」のラソラファミレドラの両方に関係がある、ということはゆゆゆはシラシラソの変形ということか、とか。バスの最初のフレーズといえばソラドシに対して『ピクニック』の「おまえを愛そう」のところ、「ここでルー」のソラミレが多分対応しているとか、ソラミレといえば「ここでただいまを」はソラミドレレレレでその変形だとか。
で、最初から最後まで変わらないミソの短3度との関係で、ソラドシからソラミレに至る、という風になっていて、その意味合い、というのもありそうには思う。