『原初』(『虹とリンゴ』)

「光の魚」「影の鳥」「光の花」「影の虹」というのは、単に宗左近の見た光景ということでいいのだろうと思う。
そしてそのありえなさ(魚が飛び、鳥が泳ぐ)と美しさ(花と虹)のためにそれが夢である、という認識になる。夢「ですか」という言い方になるのはそれが感覚として疑えないから。つまり夢でしかあり得ないのに夢ではあり得ないということになり、その矛盾のために、これは「私の」夢ではない、ということになる。
そうして、これが世界全てが燃える光景であることから、夢を見ているのは宇宙であり、その夢が自分の生きていた世界であり、それが終わろうとしている、と結論される。
で、空や海が「涙」である、というのが分からない。