『響紋』が、怖くて気持ち悪いというのは

といいつつ『クレーの絵本第一集』の話から。
この曲のギターが時代性とか歴史とかそのようなものの表現であるのは、《黄色い鳥のいる風景》から分かる。というのは、「みずがながれていて きのうときょうがある」、つまり時間が現れるところでギターが入ってくるから。
《幻想喜歌劇「船乗り」から格闘の場面》の、「あなたのうまれるまえのそのとき」「あなたのいったことのないそこ」を「おもいだす」という意味も、この曲で常にギターが鳴っているところからなんとなく分かる。フィクションと何ら変わることもないはずの歴史上の出来事が、過去に起きた事実であると感じてしまう、というか、うまく言えないが、歴史の感触のようなもの。
で、これが、「さけぶ おそろしさのあまり」「ぬるぬるのうろこ」「なまぐさいくち」とつながる。
一気に飛躍すると、自分が歴史に接続されてしまう感覚というのは「おそろし」くて「ぬるぬる」で「なまぐさい」ものなのだろうと。『響紋』はまさに第二次大戦と現在を結びつけるものなので、怖いのも気持ち悪いのもそういうものと言うしかないし、この曲が好き、というのはそこが好きなんだろう。