「世界が燃えてしまった」

この思いつきはもともと勘違が由来。
荻久保和明の「レクイエム」を聴いた際、パンフレットの解説で人類が滅んだあとの光景とか書いてあったのを読んで、ああ、宗左近の詩もそういうつながりか、と思ったのだった。
それで『縄文』を聴いたら全然そういう曲ではなかった。