『三つの抒情』について

11月のコンサートで松下耕が言っていたのが、「こんな曲が書きたいと女声合唱を書く作曲家がみんな思った」というようなことだった。とりあえずそういうスタンスでは無理、と思うのだけれども、それは『三つの抒情』のことを「イタイタしい若気のヤケッパチから外道に走った」曲だと考えるから。(「ヤケッパチ」というのはCD『栗山文昭の芸術3 かなしみについて』の解説からの印象。「外道」というのは、この曲が女の子をそうと知らせないまま自分の欲望に従属させてしまうから。)こういう曲を書く自分になる、というのはけっこうぞっとしないことだと思う。