2つのコンサートの解説について

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くだらないものを読む羽目になった、というのが、これらのコンサートのパンフレットの印象だった。丘山万里子の解説は、目を通すのも辛いほどのものだった。

「盗んだりんごを妹から隠した」などというしょうもない話を両方で持ち出すのには呆れた。当時の三善晃はせいぜい12歳の子供に過ぎない。ガキが碌でもない真似をしでかすのも、後年不意に思い出しては頭を抱えるのも、どこにでも誰にでもあることに過ぎない。自分にもあるし、ご近所にもいくらでも転がっているだろう。それが「戦争」のラベルを貼り付けるだけで深刻な生涯の罪になるなど、馬鹿も休み休み言えというのだ。ましてそれを『虹とリンゴ』にまで結び付けるこじつけには腹立たしさを感じる。三善晃が「ある意味では交響曲を書くよりも濃く、思い作業になった」とまで書いた作品に、下品な手つきで触れられるのはまったく不愉快だ。

トウキョウ・カンタートでの『地球へのバラード』への触れ方にも嫌悪を感じた。このときの「地球」が「反戦」と同じ機能であることは、この曲のことをまるで考えたことがない証明だろう。これらの言葉は、言ってみれば「総論賛成各論反対」における「総論」の位置にあり、各論を封じて人の口を閉ざす働きを持つ。委嘱時の「人間をふくむ生命の星としての地球への愛」というテーマ自体がそうした機能への接近としか見えないが、三善晃は慎重にその危険性を退けた。にもかかわらず、トウキョウ・カンタートはそれを無為にしてしまった。

トウキョウ・カンタートの解説では『クレーの絵本 第1集』にも触れられる。が、内容が本当に何もない。詩も、三善晃の言葉も意味をなさないままただ置かれており、「どうせ読めてはいないだろう」という侮りが露出している。そして、その『クレーの絵本 第1集』が『詩篇』の前年の作であることにも意識はないだろう。

そうして結局『嫁ぐ娘に』『王孫不帰』『オデコのこいつ』。都響のプログラムまでこの曲になるのは、結局三善晃自身が引いた筋以外に語れることが何もないのではないか。トウキョウ・カンタートならば少なくとも演奏が聴けるが、そして実際優れた演奏に触れられたのだが、都響の方では無内容なので記載する意味さえない。

そうして、演奏曲目の『レクイエム』から『詩篇』へは宗左近のつながりしか見ない。この間の7年が意味を持つものと見えていない。そこから『響紋』へは「花いちもんめ」から「かごめかごめ」の童謡つながりしかない。

生と死と創造と――作曲家・三善晃論/丘山万里子 -11

1981年初出の論考で、丘山は「三善はなぜ、また《詩篇》を書いたのか」と書いたが、この時から全く変わりがない。「また」ではないから書いたに決まっている。40年変わらず『詩篇』が扱えないことの隠蔽に、曲中で扱われてもいない兄妹のネタを取り出す。そして都響のパンフレットの最大の笑いどころ、『波のあわいに』で三善晃と直接話をしながら、オーケストラのコンサートの解説で、明白に三部作の先にある『夏の散乱』『谺つり星』『霧の果実』『焉歌・波摘み』の四部作を、ただ曲名を挙げることしかできていないのだった。

トウキョウ・カンタート、『地球へのバラード』を振り返る。「地球」「反戦」のような美名のもとにそれぞれの抱えるものを押し込めるのではなく、自身の生への肯定を通じて「地球への愛」を体現するのが『地球へのバラード』であり、終曲である『地球へのピクニック』だった。であれば、コンサートが『地球へのピクニック』を歌えなかった意味も明らかだろう。トウキョウ・カンタートが「地球へのバラード」のタイトルを冠した理由が、まさに「地球」の名のもとに人を服させることだったからだ。冊子「私が歌う理由」のような思い付きを参加者が低劣と思いつくことさえできなかったことは、まさにその実現だった。