トウキョウ・カンタートでの三善晃の作品の扱いについて

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経緯や内実は知らないが、トウキョウ・カンタートは早い時期から三善晃との関係が深く、パンフレットを見ると三善晃の作品を集めたコンサートをかなりの回数行っている。亡くなってから行われたものとしては前回2016年、そして今年が2回目となった。その2回のコンサートを並べてみると、『レクイエム』の偏重、「反戦」と一体化された上で三善晃の創作の意義そのもののように扱われていることが見える。

三善晃の中心的なテーマを、戦争体験を根底に置いた反戦、という所に見ること自体については、ある程度普通のこととなったように思う。が、こうしたテーマを語りやすいのはテキストを持つ作品であり、その点ではピアノや室内楽の作品についてこうした話になることはほぼなく、敢えてそれをするなら相当程度恣意的な内容にならざるを得ないだろう。

この点から考えると、三部作の存在する管弦楽作品の領域において、「反戦」のテーマが最も明確に見られる。三部作と四部作の占める範囲の大きさ、問題意識の継続性ははっきりしている。とはいえ、そのために三善晃管弦楽曲をすべてこのテーマとの関係で見ようとすることもない。例えば『魁響の譜』を、こうした主題性の下で考える必要性はないだろう。

合唱の場合は詩があるため、それぞれの曲についてより直接的にテーマを追うことができる。あるいは、そもそも詩を読めないのでその読解が問題になる。こうした追求は個別に深まっていくものであり、やはり何の曲でも「反戦」、という話にはならない。

こうした状況で三善晃の作品を集めたコンサートを考えた場合、「反戦」というテーマは有力ではあっても必然ではない。三善晃の合唱曲は多数あり、そこから取り出すことのできる主題はいくらでもある。実際、トウキョウ・カンタートでも三善晃の編曲作品を集めたコンサートなども行っている。にもかかわらず「反戦」であり『レクイエム』、というのは合唱作品を歌い、聴く中から生まれたというよりは外部から取り入れたものであり、管弦楽作品を創作の中心に置く視点だろう。

問題と思うのは、これが権威的、天下り式に導入された視点であるためにそこから見るのが適切でない作品の扱いにまで影響が出ること、そして権威的である割りに『詩篇』を扱えないことから、実質的1972年より先の作品について考えられないことである。

今回の演奏会で言えば、『地球へのバラード』の取り扱いは誠実なものでは全くなかったと考える。冊子『私が歌う理由』はこの詩と曲について多少でも考えれば下らないと分かりそうなものであり、演奏会での扱いも本来強固なテーマとストーリーを持つこの曲についてその両方を台無しにするものだった。プログラムの解説については、『沈黙の名』の「夏」をいちいち1945年の夏に接続することは、この曲の価値を今さら高めも深めもしない。こういったところに「反戦」を評価軸とする恣意性が覗くが、作品自体への関心を持たないことの表れでしかない。

田園に死す』は演奏のレベルとしては最高のものだったが、それが意味を持つ位置を与えられていたとは言えない。コンサート全体を覆うふわふわとしたテーマ性と、単に文学趣味的な意味付けだけを行う解説に、作品の力が無効にされてしまった。自分とすれば、『嫁ぐ娘に』の度に得々と自殺の話を持ち出しながらそれが『田園に死す』までつながらないことに対して、やはり曲に関心がないのではないのかと感じる。

今回の構成では、『詩篇』の周辺がスキップされ、また『響紋』に近い時期の曲が選ばれながら全く散漫に扱われていた。これは『王孫不帰』『オデコのこいつ』が隣接し、『レクイエム』との関係に言及されていたことに対して、大きく異なっている。

このことについて、『詩篇』のことが分からないから忌避したのではないか、と考える。この間、戦争に明確に言及する作品はなく、『レクイエム』から『詩篇』への展開をどのように追えば良いかは分かりづらい。三善晃によって編集された宗左近の詩も、宗左近自身の文脈をある程度追わなければひたすら意味不明であり、ましてそれが戦争と繋がる事情は分かるものではない。すると『詩篇』までの作品は個別にしか意味を問うことができず、その先の作品も散発的であるか『レクイエム』との関係を見ることができるか、程度にしか捉えられなくなる。

が、「分からない」ことはいつものことではなかっただろうか。三善晃宗左近谷川俊太郎も何を言っているか皆目わからず、それでも考え続け、それを演奏に持ち寄ってくるのが合唱の活動だった。三部作を持ち上げながら誤魔化すのではなく、合唱がこれまで続けてきたことを続けるべきだろう。オーケストラ作品は三善晃のその時々の決算と言えるものであり、器楽・室内楽は音楽としてより純粋であるかもしれない。が、同系統の作品を長い期間、継続的に作り続けてきた領域は合唱か、子供のためのピアノ作品くらいしかない。ならば、そこからだけ見通せるものがあるのではないだろうか。