今年の5月のこと

今年は三善晃の生誕90周年、没後10周年ということで多方面で取り上げられているが、この5月に色々と集中したのにはゴールデンウィークがあったとはいえまいった。自身のスケジュールとすれば混声六連から、トウキョウ・カンタート、都響の三部作と3つの演奏会に行くことができたが、吹奏楽作品3つを取り上げた現代奏造Tokyo のコンサート

【終演いたしました】現代奏造Tokyo第8回定期演奏会 | 現代奏造 Tokyo

また、バリトンの大津康平氏のリサイタル

大津 康平 on Twitter: "リサイタル終演致しました。 共演してくださった皆様、作曲してくださった鈴木先生、ご来場くださった皆様。本当にありがとうございました! https://t.co/i4Ql6scn8N" / Twitter

も重要さでは劣るものではなく、聴きに行けないことに悔しい思いをした。前者は不案内な吹奏楽の領域、後者は滅多に演奏されないバスのための『祈り』が歌われたもので、本来なら万難を排して、というくらいのもの。巡り合わせの結果と言うか、2020年であれば聴けなかっただろう三部作が今年になったことで聴くことができ、その分月の後半で融通が利かなくなったのだった。聴くことのできたトウキョウ・カンタートと三部作は企画が演奏を毀損しているという印象があり、行けなかった2つの方がそうしたことがなさそうだったのでその分も残念に思う。

三部作は演奏されるだけで大ごとなので演奏会は行くことにはしていたが、「なぜ三部作なのか」という点は2020年の演奏会が公表された時から気になっていた。三部作が代表作であるのは確かなのだが、キャッチフレーズが「この声が、聴こえるか」であったことも含め、三善晃の創作の全体を三部作に集約させようとしているように感じられた。四部作に限ったことでなく、三善晃はそこからさらに先へと進もうとしたのだから、このような演奏会の姿勢はむしろ三善晃の創作をないがしろにすることではないだろうか、と思っていた。この不安はそれなりに妥当したという気がしている。

トウキョウ・カンタートについては演奏が本当に素晴らしかったが、それ以外が不快なものだった。冊子「私が歌う理由」など自分たちの集まりの気持ち悪さを見せびらかしているも同然で見るに堪えない。プログラムの文章もしょうもない修辞で何かを言ったふりをするばかり、個々の作品の音楽的な内容も三善晃の創作の中での意味も語られない。多数の曲を集めて演奏されたこの機会を通じて、作品への探求が広がりを持つのではなく、むしろ押さえこまれて個別に追求するしかないような有様になってしまった。

兎にも角にも異様に濃密な1ヶ月だったが、どこかいかがわしいものに振り回されたような気分が残る。重要な演奏会に行き、良い演奏も幾つも聴いたのだが。