『弦楽四重奏曲第2番』

一時期日本の現代音楽関係の本をあさっては三善晃について書いてあるところを探すような妙なことをしていたが、三善晃の『弦楽四重奏曲第2番』については、本やCDのブックレット等で重要作として頻繁に名前が挙がる印象があった。アルディッティ四重奏団による日本の弦楽四重奏曲のCDがあったのだが、人に貸したまま帰ってこなくなってしまった。だいぶ後になって、「日本の作曲・21世紀へのあゆみ」という巨大なコンサートシリーズの、第22回の演奏がライブ録音でCDになっているものを購入した。先日はyoutubeで2019年の演奏を見つけたので、聴きやすい環境になってきている。

 長く聴いてきた曲だが、自分にとってこの曲は今のところ、恥ずかしい言い方だが「格好良い曲」ということになっている。「格好良い」ということの実際は「よく分からないけれど良い」、そして「その良さに何かしら硬質な印象がある」、ということで、つまり「よく分からない」ことが前提になってしまっている。『遠方より無へ』で三善晃も「迷路」「混迷」と言っているのだからいいのだ、と開き直ってしまいたい気もする。

音が非常に複雑に動き、楽譜を見ながらでもなかなか追いきれない。3つの楽章それぞれの終わり近くに、割合聴き取りやすい場面があり、いつもそのカタルシスに向けて聴いている気がする。第2楽章の終盤は特に美しい。

曲の全体に決然とした調子があり、これはピアノ協奏曲などにも感じる一方、三善晃の作品では例の少ない表情という気がする。これは単に弦楽器の鋭いアタックが目立つといった程度のことかも知れないが、厳しい、激しい、鋭い、といった楽章は諸々ある中で、案外珍しい。ではピアノ協奏曲と似ているかというと、急緩急のセクションの配置は類似しているものの、ピアノ協奏曲の案外華のあるフィナーレや、(作曲者自身も言っていたが)表現の率直さの印象は、この弦楽四重奏とは違うものに感じられる。どちらも突き進むのだが、ピアノ協奏曲ではその先の保証があり、弦楽四重奏曲にはない、という風にも感じる。

例の「ロマン的なるもの」という話が、この曲についての三善晃の文章に出てくる。ヴァイオリン協奏曲など、この前後の作品に関係することであり、いずれ考えてみたい。