未来に伝える三善晃の世界Ⅲ(2)

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休憩を挟んでカルテット・アマービレの演奏になった。

弦楽四重奏曲第1番』

CDを2枚持っているが、確か矢代秋雄が「こんな年寄臭い曲を書いてちゃだめだ」とか何とか言っていた記憶があり、身構えながら聴き始めた。が、一体感のある演奏に次第に警戒感も解れ、落ち着いて聴けるようになった。曲については、出だしはやや作りが素朴と感じたが、いくつかの動きがかみ合いながら展開して美しかった。

弦楽四重奏曲第2番』

この曲の演奏が本当に素晴らしかった。第1・第3楽章の強烈なリズムも第2楽章の美しさも録音で繰り返し聴いてきた以上のものだった。非常に複雑な曲なのだが、視覚的な情報が加わるからか、目の前で演奏される方が見通しが良いようだ。

弦楽四重奏曲第3番 黒の星座』

これも美しい演奏だった。この曲も録音は2つ所持しているが、オリジナル主義のような感じでギターと弦楽四重奏の曲が本来という意識があり、これまであまり聴いてこなかった。今回はこの弦楽四重奏の曲も良いと思えたので、これから聴き直してみたい。

『黒の星座』

書き方がややこしいがギターと弦楽四重奏による原曲。直前に弦楽四重奏の方を聴いていたために余計はっきりと感じられたが、ギターが弦楽四重奏に対して異なる色合いを差し込んでいく。その差によって音楽が広がりを持つように感じた。

 

最後に、プログラムについて。表紙をひらくと1ページを埋める挨拶文があり、曲目の後には1ぺージ半、各曲の解説が置かれている。主催者の気合が迸るような文章であり、これほどのコンサートを成り立たせる熱意が満ち満ちている。一方のこちらは温く享受するだけの身なので何を思ったところでたかが知れているのだが、自分の三善晃の作品に対する考えは主催者とはだいぶ違っているとは感じた。

挨拶文はショパンの言葉を引き、ショパンの音楽を「娯楽とは対極の位置にある」とし三善晃の音楽についても「同じように娯楽とは対極の位置にある」とするのだが、これに自分はあまり同意しない。三善晃の音楽に近づくには娯楽性や身体的な快感、表面的なスペクタクルを経由することが必要であり、さもなければ自身の思い入れの周りで足踏みをするだけになる、と感じている。