同名の曲集の5曲目。栗山文昭が良く演奏していた印象があるが、確かめた訳ではない。
『レクイエム』と『変化嘆詠』のレコードに寄せた「生者として」という文章で、三善晃は『レクイエム』の歌詞についてこのように書いている。
詩や、書かれた言葉を読むことで、それが真の体験となりうるものなのか、体験をどのように弁別したらよいのか、私にはわからないが、ここにテクストとさせていただいたものはすべて、「私の体験」となった。
また同じ文章の中で、戦時中の自分自身については
テクストにあるような死が、私の日常にもいろいろな形で身近にあったが、それを自分のこととして感じたことはなかった。
また、
無数の理不尽な死の側に、ほんの偶然から入ったかもしれないあのとき、そうなってもならなくても、ただそれはそれだけのことでしかない。それが、少年期の私の感情の基質だった。
戦争を「体験しなかった」とまで言えば言い過ぎとしても、その時にあるはずの何かを感じずにいた、ということのようではある。三善晃自身、やはり同じ文章の中で、「あの当時、私がけっして自分のものとして対面しようとはしなかった死の諸像」とも言っている。
そして、美しい曲を作りながらも、「30歳になりたくない」というような思いを抱えて、1962年(CD『かなしみについて』ブックレット)。『ピアノ協奏曲』『弦楽四重奏曲第1番』『白く』、そして『三つの抒情』と『嫁ぐ娘に』。
『街路灯』は1982年の曲で、この時からは20年ほど後、『レクイエム』からは11年後になる。
みんなすてよう
めぐりあわないために
とは、かつての三善晃自身だったのだろうか。