『永遠の光』に取り上げられている宗左近の詩もやっかいな内容を含んでいるが、曲ではカットされている。結果的に何も言っていない言葉が並ぶことにはなっている。
「人の生みうる唯一つの無限」等々の先に次の言葉があり、使われていない。
ああ 透明光体の
螺旋上昇吊り上げられ運動よ
(『夢 死者語る』)
一読、意味不明で、宗左近だなと思うくらいではないだろうか。逆にこの言葉がないので曲に使われた言葉も別に宗左近でなくていいのでは? という感もある。
この詩の構図を横倒しにしてみると、この詩と『交聲詩曲 波』の詩の類似が見えてくるだろうか。『海』を人の生の比喩と読むとき、『波』はその生が引き継がれていく様を描く。夢が波を導き、波が夢を支えながら、海を越え、空を越えていくと歌われのだが。
『波』は『海』からの展開で、『海』は宗左近の「縄文」の図式を薄く引き継いでいる。殺す側と殺される側、滅ぼす側と滅ぼされる側がこれらの詩の裏にもあり、それを『夜ノ祈リ』への答えとして返し得すには入り組んだ論理が必要になるだろう。