三善晃の合唱曲とピアノ

三善は合唱とピアノの組み合わせを成り立たせるために、合唱の魅力の一部とピアノの魅力の一部を抑えているように感じる。それは曲中の合唱だけの部分やピアノだけの部分も含む。
多分他の方法はなくて、他の作曲家もいろいろ苦労しているのだろうと思う。萩原英彦の『白い木馬』は前に書いたような印象を持っているし、荻久保和明が曲中に男声合唱無伴奏の部分を置いたりしているがこれも他の部分とのつながりが悪い気がする。