『三つの抒情』の男声版の話を見かける度に、最初から男声合唱である『三つの時刻』をやれ、と思うのだが、そうは言っても、という面もある。全体で6~7分の短い曲なので、ステージ構成に融通を利かせられるような団体でないと取り上げづらい。それでいて、内容としても決して手軽には扱えない。三善晃の曲は短い時間の中で思いがけない深く遠い所に至ってしまう。
その『三つの抒情』についてはCD『栗山文昭の芸術3 かなしみについて』のブックレットで三善晃自身が「自分が30歳になる実感が持てなかった。正確に言えば、なりたくなかった。」と書いており、また同年の『嫁ぐ娘に』については丘山万里子の追悼文があり、この2曲が作曲された1962年に何かしらの危機があったらしいとは知ることができる。
『三つの時刻』はその翌年、1963年に書かれている。そのことが、前年との関係ではどのような意味を持つのか、と、ふと気になった。それは『三つの時刻』の詩と曲に、どこか悲痛な印象を受けるようになったからだった。
『薔薇よ』の詩は、結構危険なことを言っている。「かかる世では」「汝を棘で刺せ」「その血を嚥んで 白く耀け」と並べれば分かりやすいのではないかと思う。三善晃が非常な強勢を与えた「むしろ」に、どのような思いが込められたのか。『午後』の郷愁(ということは、過去のできごとだろう)、ピアノ・メゾピアノで表現される遠眼鏡の距離感の先で、もう一羽はどこに行ったのか。そして『松よ』では、「ぼくは」で一瞬感情が激発しかかり、しかし言葉が詰まる。そこで何を言うはずだったのか。そして、墓とは誰の墓だったのか。
さらには、『薔薇よ』と『松よ』の間の変化、「白く耀け」が「墓の石を掃かう」に行き着く配置には、何かの断念があるように思える。それは『薔薇よ』のみ無伴奏であることとも関りがあるだろう。
この曲の痛切さは僅かだけ炸裂し、あるいは遠くに覗き見られる。曲が明るく、厳しく、あるいは穏やかに響く中に押し込められた何かが、そこを通じて表れるように感じられる。