三善晃とピアノ作品(2)

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1990年代最後の日、逝った友人たちを想いながらピアノを弾き続けているうちに、その音の流れのなかに谷川さんのこの詩の詩句が聴こえてきた。

曲集『木とともに 人とともに』の楽譜の序文に書かれた、この『生きる』の成立事情が興味深い。「慣れすぎた」というピアノに三善晃がどのように触れていたかが覗けるようでもあるし、結果的に合唱作品となったところに他の諸作品との異同を見ることもできる。そしてこの曲については、合唱作品としてはややだらしのない情感の垂れ流しという印象が個人的にはあり、一方 youtube などで見つかるピアノパートのみの演奏には子供のための作品との近さを感じる。

この序文、あるいは『三つの夜想』の楽譜の前書きなどにも見られるが、三善晃には心情のままにピアノを弾くことがあったようで、このことが「慣れすぎた」の実態の部分と考えられる。そのようにピアノを弾いていられることが、前回書いた「容易さ」になるだろうが、三善自身にとって、そのように弾かれた音は「作品」ではなかったのだろう。

では、「作品」はどのようにして成立したのだろうか。『生きる』の場合なら、『ピアノのための無窮連祷』ではなく『ピアノのための無窮連祷による 生きる』となることがなぜ必要だったのか。

三善晃の文章を3つ引用する。

謂わば、男声合唱という私にとっての広い未分化の領域は、まだまだ表現への分化を果たしていないのであり、イメージはその原点にとどまっていることになりましょう。音楽とは、その原点からイメージが表現として分化され、再びその原点に戻って未分化の原風景を描く芸術です。

かような小品は、色のある歌、であろうか。それは言葉のように語りもせず、包みもしない。歌は、あらゆる表現が表現として分化しようとする未分化なものとの接点――イメージの原風景に立ち還って、ただそれをなぞるばかりである。

少年時代からの多くの歳月に、白秋の韻律は私の情感を染め、それは影のように私から離れなかった。それを切り離すように――切り離すために――私は私の影を振り返った。

一つ目は『ふるさと』(『縄文土偶』)初演時の文章「未分化の原点で」、二つ目は『海の日記帳』の楽譜の前書き「色のある歌」、三つ目はCD『街路灯』のブックレットに載せられた『五つの唄』の解説。前2者は共通した言葉を使っており、イメージが原風景から分化する、という仕組みを語っている。「音楽とは」というのは「作品」ということでもあり、これらの曲がその手前の状態にあることを、『ふるさと』では課題として、『海の日記帳』については単にそのようなものとして、それぞれ語っている。3番目はこの仕組みの逆用というのか、「切り離す」つまり分化させるために北原白秋による作品を書いた、と言っている。

「分化」「切り離す」という言葉の裏には、「男声」「ピアノ」「白秋の韻律」の、自身との分かち難さがある。身近な、自分そのものでもあるような親しさが、そうした分化を難しいものにする。その点で男声合唱曲が少ないこととピアノ作品が少ないこととは類似とも見られる。

ここでまず一点、なぜ子供のためのピアノ作品を書くことができたかについて推測することができる。先に書いたようにピアノとの親しさが作品の成立を難しくするのだが、子供のための作品ではそれとは異なり、むしろその親しさ自体を目的としているためだろう。

『生きる』の成立事情についてはどのように考えられるだろうか。ピアノパートと子供のための曲とが近い印象を持つのは、ピアノとの関係が類似しているためと考えられる。が、この曲の音を弾く心情は子供に向けるものではなく、それだけでは作品とはならない。その場合、恣意的な単なる気分として三善は捉えたのではないか。そこに「(『生きる』の)詩句が聴こえてきた」ことが、そのピアノの音を自身の恣意とは異なるものとして成り立たせることになる。このため、作品としての成立にこのピアノと「生きる」の詩がともにあることが必要だったのだろう。