2022年3月17日
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
曲目
- Eer Bote (Valentin Silvestrov) 渡辺研一郎
- Regina angelorum(Pekka Kostiainen) gemma
- 3 Bagatellen op.1-1 Allegretto(Valentin Silvestrov) 渡辺研一郎
- Tre Stycken för Manskör(Sven-David Sandström) in high glee
- Hymne(Valentin Silvestrov) 渡辺研一郎
- O sacrum convivium!(Olivier Messiaen) gemma・in high glee
- 三つの抒情(三善晃) gemma・渡辺研一郎
- 路標のうた(三善晃) in high glee・渡辺研一郎
- 空(三善晃) gemma・in high glee・渡辺研一郎
この演奏会についても、三善晃を演奏するというので気が付き、比較的足を伸ばしやすい会場なので聴きに行くことにした。
「キアスム」とは「絡み合い」といった意味とのこと。前半はヴァレンティン・シルヴェストロフのピアノ作品と、女声、男声、混声の無伴奏の合唱曲を交互に演奏する形、後半には三善晃の合唱とピアノの作品というプログラム。事前に公開された指揮者・ピアニストの3者によるプログラム紹介動画を(飛ばし飛ばし)見た中では、ピアニストの渡辺研一郎がシルヴェストロフを好んでおり、その音楽と三善晃の言葉が結び付いたということのようだった。
自分がシルヴェストロフの作風についてどこで知ったのか分からないのだが、簡素な音の連なりからその時々の響きに意識を向けさせる音楽であり、プログラムはそこから合唱についても同じような聴き方へと誘導し、その往復から三善晃の合唱とピアノがどのように聴かれるか、というプログラム。前半には照明による演出があり、基本的にはステージ上の照明も消してピアニストだけにライトを当て、合唱では譜面台を照らす照明だけを点け、曲間で拍手が入らないようにしていた。この点もプログラムの意図の表れだろう。
実際の演奏でも、最初のピアノは聴くことへの集中を高めるように作用し、これはピアニストの力もあり、一方では聴き方に迷う余地がないためということもあっただろう。客席の集中はコンサートの最後まで続いたと感じたので、演出面でも成功していたと言える。
gemmaの女声合唱については、この状況がやや不利に働いたかも知れない。通常の演奏会であれば「傷もあったけど良い演奏だった」という印象になったと思うが、この時には「何だか普通の合唱の演奏が始まっちゃったな」と感じた。次のピアノを挟んでの in high glee の男声合唱はそうでもなかったがこれは男声合唱のずるいところと言うか、女声よりも簡単に聴ける音になってしまうためという側面はあった。ついでに言えば、聞いて意味の分からない言葉での朗読というのもずるいと感じた。さらにピアノを挟んでのメシアンは安定感があり、単純に人数の力を感じた。
この前半が、後半のステージと客席にどのような効果を持ったか、というのはそれほどはっきりとは分からない。集中の持続は先に書いた通りだが、演奏は解釈としては案外言葉への逐語的な反応という感があり、音響への意識がやや外された気がする。『三つの抒情』では、特に『北の海』でのピアノがかなり突き詰めた演奏をしていたが、それと合唱が乖離しないあたりに意味があったかも知れない。一方では合唱がやや歌になり切らない面があり、終盤の「幼かった日のやうに」のあたりではやや間延びする感じがあった。『路標のうた』は再び男声合唱のずるさで聴かされてしまった。『空』とともに、合唱とピアノの親和性が高く違和感のない演奏だったが、それも曲自体の性格によるものという気もした。
思うことも色々ありつつ、全体的には誘導に乗って音楽に集中していられた点で満足感の高いコンサートだった。方針が明確な分、ハードルが勝手に上がった面もある気がするが、それも高水準の演奏があった上での話ではある。