『王子』(『縄文土偶』)

『縄文土偶』の楽譜には、初演時のプログラムの文章が載せられている。『縄文土偶』は特殊な成立をした曲だったため、『ふるさと』の初演と『王子』を合わせた『縄文土偶』としての初演があり、その両方について、序文の代わりに置かれている。

『ふるさと』が初演された1981年の文章「未分化の原点で」には、次のように書かれている。

男声合唱と言う私にとっての広い未分化の領域は、まだまだ表現への分化を果たしていないのであり、イメージはその原点にとどまっていることになりましょう。音楽とは、その原点からイメージが表現として分化され、再びその原点に戻って未分化の原風景を描く芸術です。まだ、そこに到っていない拙作を聴く今夜は、私には、一つの出発の契機でなければならないでしょう。

そして、1985年の「心を辿る」では、

「王子」の音は「ふるさと」の前景として聴こえてはいたが、それを「ふるさと」という山に登ってゆく道として定位することが出来ずに4年経ってしまった。今年の秋、それを「ふるさと」の山頂から望見し、改めて辿ってゆくことにした。宗さんとアリオンにお詫び申し上げつつ、改めて男声合唱曲〈縄文土偶〉として捧げる次第である。

前者を『王子』の作曲が当時できなかった意味、後者をこの時作曲した方法と見ることができそうだと思える。

分化、というのだが、『王子』の詩に三善晃は動揺したのだと思う。そのために「イメージ」が安定した形を取らず、「表現」に至らない。「『ついに王となることのない王子』とは俺だ」と思ってしまった、ということかも知れない。

「切り離すために描く」というのは『五つの唄』の話だが、『王子』の作曲もそのようなものだっただろう。1984年、85年の作品群はどれもそのような曲なのだと考えているが、その中で『王子』は、まず『ふるさと』に至るべき背景として見通され、それが自身の心の動きと同型である、という運びで作曲された、という風に、三善晃の文章は読めると思う。