Tokyo Cantat 2023 やまとうたの血脈XII  地球へのバラード~傷みの泉から祈りの声を~(4)

tooth-o.hatenablog.com

tooth-o.hatenablog.com

tooth-o.hatenablog.com

『地球へのバラード』より『私が歌う理由』『沈黙の名』『夕暮』

(Chœur Clarté)

コンサートの表題にされた曲集より3曲が、冒頭と休憩後の最初に演奏された。ステージとは別に、2階席の上手側の奥で待機し、演奏は指揮者なしで行われた。

『私が歌う理由』

まず入場時に配布された冊子「私が歌う理由」について。冊子の冒頭に曰く、

丘山さんからは、「地球へのバラード」1曲目の曲名になぞらえて、参加者全員に「私が歌う理由」を聞きたい、問いたい、とのご提案をいただき、冊子にまとめて配布することにいたしました。

とのこと。

自分の考えとしては、そんなものは知ったことでもなけえれば知りたくもなく、『地球へのバラード』の1曲目とも、そもそもの元の詩とも何の関係もない。愚劣な話であり、詩を意味の通るものとも思わずにぼんやり眺めているからそんな発想になるのだと思う。

演奏も、そのぼんやり具合を反映して呑気に歌い出された。それがそのままで終わらなかったのがこの曲の持つ力だろう。

『沈黙の名』

この曲は恐ろしい曲で、演奏次第では当日の全ステージとさえ拮抗し得る曲なのだが、企画と演奏を通じて特に考えなく扱っていたように感じた。全体の中で適当に納まりの良いようになったということではあるだろうが、楽曲の取り扱いとして不誠実という印象があった。

『夕暮』

この曲は歌っていて勝手に出来上がっていくところがあまりなく、指揮者なしでの演奏は難しかったかも知れない。やや、ただ音を鳴らしているだけのような場面が多かったように思う。

 

合唱団自体については、Combinir di Corista のように突き抜けた高性能ではないものの実力があり、特に技術的な不足のようなものは感じなかった。

アンコールは栗山文昭指揮、同団体と最終ステージの栗友会合唱団による『鳥』の演奏だった。頻繁にアンコールで取り上げられる曲ではあるが、これもまたムードで使っているだけなので、『地球へのバラード』はコンサートの表題曲でありながらただ便利使いだけで終わった。