Tokyo Cantat 2023 やまとうたの血脈XII  地球へのバラード~傷みの泉から祈りの声を~(2)

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『王孫不帰』

(松原混声合唱団男声+早稲田大学コール・フリューゲル 指揮:清水敬一
   ピアノ:小田裕之    打楽器:加藤恭子/横田大司)

この曲についてはそれだけでも大変なことというのは承知しているのだがそれでも、きっちりと歌っているのだけれどもそれだけ、という印象だった。『王孫不帰』は実演では確か4回、その内3回は清水敬一の指揮による演奏で聴いているのだが、この印象は毎回あまり変わらない。

以前のTokyo Cantat での感想。

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還暦を過ぎていくらか肩の力が抜けたのか、むやみに場を硬直させて緊張を強いるような演奏にならなかったのは前回よりは良かった。けれども例えば能の謡いであるということの意味は今回の演奏からも出てこない。『王孫不帰』は実質的に解釈を放棄されて、歌いこなした満足感のためだけに演奏されてはいないか。

『オデコのこいつ』

(むさし野ジュニア合唱団「風」 指揮:前田美子 ピアノ:平美奈子)

そしてまたこの曲、『遠方より無へ』に載せられた文章もあるけれどもいい加減短絡的に過ぎる、と思ったものの、今回はかなり感動したというか、辛い気持ちにさせられた。歌詞にある子供らしさがどの程度今の子供にも通じるのか分からないが、子供の声で歌われる子供の言葉が防衛的な意識を通り抜けて内容を受け止めさせられてしまった。正直、振付はむしろこちらを身構えさせるように働いたが、歌いたくなるような歌詞でもないこの曲を合唱団に受け入れさせるのに必要だったのかも知れない。

このような歌がどうして成立したのかというのは、今となっては不思議なことと感じる。子供たちに歌いたくない曲を歌わせるであるとか、現実の問題についての特定の見解を含む曲を歌わせるのは今どきの行いとするならかなり不適切だろう。ならばそうした曲の需要は限られることになるし、そうそう作曲もされないのではないかと思える。

『オデコのこいつ』については半世紀前の作品であって、こうした曲を作る意味合いが現代とは違うはずではある。演奏するという面では、歌いたがらないことは指導者と合唱団の関係の問題として解消され、描かれる問題についてはすでに過去のものであって現実的な解決を考慮する必要がないことによって今歌うことが可能になっている。

『嫁ぐ娘に』

混声合唱団鈴優会 指揮:名島啓太)

合唱団の性能という面では、失礼ながら他より一段落ちる印象があった。また、所どころに現れるソロの扱いもあまり突き詰めているようには聞こえなかった。が、全体的に表現が明快で曲の形がよく分かる、見通しの良い演奏になっていた。気になりやすい所として1曲目の男声「ラララ」や「ルンルンルン」は爆裂してしまっては困るけれどもバランスを気にして貧相な声になってもまずい、という部分があるが、生で聴いて丁度よい、はっきりと存在を主張しながら暴力的にもならないあたりで処理されていたのが嬉しかった。3曲目の最初のフェルマータの後の3小節も、メゾソプラノとアルトの歌詞とリズムはやや切実さを欠く演奏になりがちなところをどぎつくもならずに上手く扱っていた。バランスの難しい部分をスマートに処理して、美しく演奏していた。