『光よ そして緑』(上田真樹『終わりのない歌』)

所属している団体で、少し歌ってみるという機会のあった曲。

ピアノの低音が七連符と六連符で揺れる木漏れ日を描き、合唱では十六分音符が光を示す。光の十六分音符は「割り切れる」という感覚から光の直進性までを表現し、三連符はそれが遮られる様子を表す。乱れる感情が、これら全てに対して噛み合わない五連符で打ち出される。

記号的な話であって、ここまでは単純といえば単純なのだが、そうすると読み切れない部分が気になってくる。

この曲は基本的に四分の四拍子なのだが、ピアノによる前奏部分、6小節目だけ五拍子になっている。ここまで記号性が明瞭だと、こうしたことも単に無意味とは言えないのではないかと勘繰りたくなる。

七連符と六連符の交代についても気になる部分がある。この交代がどこで行われているかを見ていると、七連符がまた光に対応するようにも見える。音画的な表現に止まらない意味付けがここにも含まれているかも知れず、しかもこれは「割り切れる」性格とは別になる。さらに、この七連符と六連符の途切れる部分、さらに1か所だけ三十二分音符による部分がある。

『夢の意味』よりこちら、失礼ながら言うと温いメロディ書きくらいの印象があったのだが、楽譜からは別の性質が見えるようでもある。上田真樹について、少し見直す必要があるようだ。