三善晃の『空に小鳥がいなくなった日』について(1)

三善晃の『空に小鳥がいなくなった日』は、ここまで聴いてきた4曲とは違った感触の音楽になっている。詩の世の中に対する批判性が、林光では荒野に踏み出すような厳しさとなり、平吉毅州松下耕信長貴富の3つの合唱曲では三様の絶望の未来として描かれることになった。が、三善晃はこれらとは異なった仕方で詩に向き合っている。ではどのように、ということが分からずにいた。

『五つの願い』の楽譜では、目次のタイトル部分に『「空に小鳥がいなくなった日」改題』の記載があり、元々は詩のタイトルが組曲全体のタイトルにもされていたことが分かる。その前のページに三善晃による序文があり、

この合唱団の皆さんは、ほぼ私と同じ世代の方々。

思い出が重なる 夢が映り合う 哀しみが通じ合う 痛みが響き合う 願いが手を結ぶ… つまり、心が通い、志が等しい方々。

とある。つまり、この組曲には世代論的な視点があると考えられる。

世代ということだが、委嘱の1986年には三善晃は53歳、初演は1988年であり、このときには55歳になる。この頃は定年が55歳から60歳に引き上げられていく時期だったようで、同世代とするなら合唱団の団員は仕事の終わりを考える時期にさしかかっていただろう。そうした時期から振り返った思いが、序文の引用部に挙げられている。思い出、夢、哀しみ、痛みを背景に、同世代の願いを歌う組曲であり、序文によると谷川俊太郎が『五つの願い』と名付けた。

その「願い」だが、取り上げられた詩を見ると『子どもは……』以外にも子供への言及が繰り返される。また、世の中の不完全さが語られ、それに向き合っていく若い世代が扱われる。歌い手も含めて全体を見るならば『五つの願い』は、若い人たちに不完全な世界を明け渡していく、間もなく世の中を退いていく人たちの「願い」、という形になる。

『空に小鳥がいなくなった日』に戻ると、上に書いたことから詩の批判性は反転して歌い手の側を向くことになる。楽譜序文の後段で三善晃

愛の前と後ろに絶望があり、その向こうにもっと深い愛があった。

流れていくあてのない怒りと痛みを抱いて、優しさが流れていた。

私に向けられた鋭い刃は、だが私を柔らかに包みもするのだった。

明るいとき、その明るさは透明な哀しみのために明るいのだった。

と書いている。詩は「私に向けられた鋭い刃」であり、だから三善の『空に小鳥がいなくなった日』は外に向けた攻撃性をもたないことになる。