『原初』メモ(1)

何度も触れている、『虹とリンゴ』の第1曲について、気づくことや思うことなど。

  • 2曲目『夏』で「宇宙のあちら」とあるように、「あちら」と「こちら」という関係が宗左近の詩には何度も現れ、また三善晃も『詩篇』以来常に触れてきた。冒頭「ゆめ」がメゾソプラノとアルトの2声による繰り返しであるのもこの関係を表す。
  • 各2回目の「ゆめ」での音の密集や、その後の「光の魚が」「影の鳥が」のクラスターは感覚の飽和の表現。これは『夏の散乱』初演時の文章<あの夏は、まだ>にある「炎を、炎の内側から見なければならないとき」、つまり宗左近の空襲体験から来ているが、背景よりはその感覚を描こうとしている点を重く見たい。
  • ピアノの7連符は虹の七色の連想だが、これ自体は聴いて気付くものではないだろう。ただこの7音が上行して最後に下がる形は虹の弧のイメージを描くかもしれない。このピアノは合唱のクラスターから音を拾うように始まり、そこから外れた音に到る。
  • この7連符から次の小節の付点八分+十六分+四分音符(フェルマータ)で1フレーズとなり、「虹とその向こう」という全体の構図を示す。
  • ソプラノが入り「ゆめのそら」でaccel. からten. 、この間でmp からクレッシェンドしてf になりディミヌエンド、a tempo となって3連符で「ですか」と、1小節の中で表情が激しく動く。全曲を通じて、八分音符(2分割リズム)と3連符(3分割リズム)は逐語的にもかなり厳密に使い分けられており、八分音符は「こちら」に、3連符は「あちら」に対応する。
  • ピアノのやや特殊な奏法として、「左手は無音で押さえ、右手のアタックで倍音を伸ばす」という指示がある。Senza tempo の合間で3回、強烈なアタックをかけた音を弾くのだが、この音に異様な感覚を与える働きがあるように思える。
  • この部分で、ピアノはC、E、G♯ を鳴らし、合唱はこれ以外の全ての音を鳴らすようになっている。
  • ピアノに5連符が現れる。以前に書いたが、2→4、3→6と読み替えて、5は4と6の間、「こちら」と「あちら」の間、という意味合いがあるように思える。
  • メゾソプラノの「光の魚が」の「おが」の所で1/4拍子と3連符が現れる。ここの動きは魚が尾を振るような運動の感覚がある。
  • ピアノの装飾的な動きは炎、または火花のイメージだろうか。
  • ここまでにも表れているが、全曲を通して、合唱が歌い始め、ピアノが重なり、合唱の後を受ける、という運びが多い。
  • 次に、「夢の海ですか/影の鳥が泳いでいます」の詩行がほぼ同じ形で歌われる。ただし、個々の音はかなり変わっている。また、メゾソプラノの「光の魚が」にアルトの「影の鳥が」が対応する。この関係は冒頭のメゾソプラノとアルトの関係の延長と見ることもできる。