『五つのラメント』(廣瀬量平)

言うまでもない男声合唱の名曲。自分も男声合唱から合唱に入ったので、廣瀬量平の『五つのラメント』には憧れのような気持ちがある。当時『Volga』を聴いて圧倒されたことを覚えている。

音域やダイナミクスの幅が広く、トーンクラスターやグリッサンドの一方明確なホモフォニーやポリフォニーも用いられるというように技法的にも多様であり、雄大な表現を生んでいる。この幅広さが発散して無意味とならないのは、一つには詩そのものの力があり、また、委嘱者による詩の選択と、その意味が作曲者と共有されたことがあるだろう。

曲として、という点からさらに見るなら、長い母音唱が各曲で用いられていることが挙げられる。第1曲『十字架』には「ふるえ」の「え」からの引き伸ばされた旋律があり、2曲目の『さようなら一万年』ではセカンドテナーのソロに現れる。3曲目はほぼ完全なホモフォニーになっているが、第4曲『オーボエの雲』では各パートのフレーズの最後の母音でかなり長く旋律を歌い続けるようになっている。そして終曲『Volga』では冒頭から長い旋律が現れ、以降大きく展開される。これらの旋律は動機を共有しており、組曲に一貫性を与えていると見られる。

ところで、今触れたように第3曲『天のベンチ』はホモフォニーの音楽になっているのだが、一方次の第4曲はこちらもはっきりとしたポリフォニーになっている。初めに挙げたトーンクラスターやグリッサンドが第1曲でだけ使用されていることも考えると、この組曲の展開に音楽史を俯瞰する意図があるのではないか、と想像されてくる。つまり、現在から過去に向かって音楽史を遡るように作られているのではないか、という気がする。その場合の「音楽史」は、「歴史」の比喩ということになるだろう。このような見方は第2曲の位置づけを確定できないと空想でしかないが。

先の話にもどって、『天のベンチ』がなぜ例外なのかというのが気になる。もちろん5曲の中央ということでどのような意味も付けられる。前後の対称性を主張したいかも知れないし、上記の旋律に対する縦の線のような意味にも取れる。いずれにせよ、こうしたことには何か理由があるものだとは思うのだが。