『平行世界、飛行ねこの沈黙』(2)

 

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 正直に言えば、前回書いた3つの演奏を聴いてもこの曲がそれほど面白いとは思わなかった。演奏の好悪もその中での良し悪しという話でしかない。これは単にこの曲がつまらないのか、十分に魅力的な演奏がまだ出てきていないということなのか、まだどちらとも言い難い。前者の可能性として先の男声の表現に関する制限や年齢に関することなど、総じて構想と編成が整合していないのでは、ということは思う。一方、聴いたのが3つの録音だけであり、演奏についてはまだまだ汲み取られていないことがあるはずでもある。そのあたりは未来に期待することにしたい。

話を変えて、この曲には「平行世界」という特徴的な言葉と結び付いた仕掛けが色々あるということを作曲者が楽譜の前書きに書いている。

あたかも他の3篇が平行世界であるかのように対置させてあり、作品全体が常にモーダル(旋法的)でありながらコーダル(和声的)に展開します。また同主調(例えばC major とC minor )が交錯し、並置されているなど、他にも平行世界という言葉から引き出されたいくつかのアイディアが全体に散りばめられています。

6/8拍子と3/4拍子や12/8拍子と6/4拍子の交替あたりは自分などにも見やすい。また6/8中の2連符のリズムも同種で、第1曲の前奏のピアノからそのことが示されているようだ。また、同じ言葉に対して長い音符のフレーズと細かい音符のフレーズが対置されるパターンも意図的だろう。

もう一つ気が付いたのが、第4曲、表題曲の『平行世界、飛行ねこの沈黙』の193小節前の二重線で、詩はこの直前まで飛行ねこを見上げている話であったところから飛行ねこの存在しない視点に移行している。全曲を通しても曲中に二重線はここ以外で使われておらずこれも意図的と見られ、つまりここで「平行世界」の移行が生じているという意味になる。

興味深いのは、この結果「飛行ねこが飛んでゆく」という言葉の印象が二重線の前後で変わることで、この点は演奏においても何らかの表現がされなければならない。この辺り、演奏への要求が繊細過ぎる感もある。