『三つの時刻』について

男声合唱とピアノのための『三つの時刻』は1963年、三善晃が30歳の時の作品となる。早稲田大学グリークラブの委嘱による作曲者の初めての男声合唱曲だったが、楽譜の前書きによれば初演時のピアノのパート譜が紛失、後の1986年、初演時のレコードから採譜して法政大学アリオンコールにより復元版の初演がなされた、とされている。楽譜はその翌年、1987年の11月に路標のうたと合わせて1冊の形で第1刷の発行となっている。

全体は「薔薇よ」「午後」「松よ」の3曲から成る。各曲とも2分程度かさらに短く、全曲でも演奏時間は6分程度となる。第1曲の「薔薇よ」のみ無伴奏で、「午後」と「松よ」にはピアノが加わる。

「薔薇よ」

この詩の「薔薇」とは若者の、美しく正しい理想の姿なのだが、それが「かかる世」にあっては「みずからの頬を破り/その血を嚥んで 白く耀け」と求められるところに恐ろしさがある。

曲の最終部、〔Un poco meno mosso〕の「棘で刺せ」の甘美さは、それにより完成する理想の姿への憧れと感じられる。翻って冒頭、最初の「棘で刺せ」の後の「薔薇よ」の音は、「薔薇」がそれを拒むこと、理想を逸れることへの不安を表す。

すなわち、この曲での「薔薇」は生きた人間であり、語り手はその人物に己の理想を見ている。それは本来ならば異様なことであるはずだが、語り手はそのことを疑ってもいない。曲が無伴奏であるのはその疑いの無さを示す。

「午後」

8分の6拍子による急速な音楽が「鴉たち」の動きを描く。その激しい運動は争っているようにも感じられる。やがてそれが過去、「鄕愁の遠眼鏡」の向こうの出来事であったことが示され、語り手は事の進行から弾き出される。その先に決定的な事態が、手出しのしようもなく起こってしまう。

「薔薇よ」を過去とする隔たりをピアノが表す。その「遠眼鏡」を覗くときには、かつての自身も、さらには「薔薇」と見えた者も所詮「鴉」でしかない。恐らく「薔薇よ」の理想を巡り、最終的な決別があり、その先、細く歌われる「一羽の返事はもう聽えない」は死の暗示だろう。

「松よ」

結果としてその人物は「薔薇よ」の通り、「曙の一刻」に「白く耀」いて死ぬこととなった。ならば、自分はどうすればよいのか。

「薔薇よ」の理想とは結局、「かかる世」を否定し正しくあるために死ぬことだった。よって「かかる世」による彼の弔いはあり得ない。彼とその死の価値を知る者はいない。松の梢と日差し、風と自然物に呼びかけるのは、他に彼を悼む者がないためだ。

自分自身はどうか。彼の死こそが己の理想だったのだから、自分もまた彼を弔うことなどできるはずがない。自らも「白く耀」いて己の理想に殉ずることだけが可能な道だったが、すでに己の「曙の一刻」は過ぎ去り、今さらの死に何の輝きもない。激発する「僕は」の先には何も続かない。ただ「墓の石を埽」くことだけが残されている。

 

『三つの時刻』は『三つの抒情』の翌年に作曲されており、この間に三善晃は30歳になっている。また復元版の1986年は『三つの夜想』の翌年となっている。そもそも録音からピアノパートの復元をするのはいつでも可能だったはずであり、それがこの年になったのは、『三つの抒情』の時期の三善晃自身の課題が何らかの決着を見たからだろう。そしてCD『かなしみについて』のブックレットなどを思い起こすならば『三つの抒情』の時期の課題とは30歳という年齢を巡るものであり、それは三善晃の「曙の一刻」の期限と、それを過ぎてまだ生きていることについてだったのではないか。