『男声合唱組曲 雨』

あるところで『雨』の話題を見かけたのだが、それが tooth-o.hatenablog.com この時の演奏のことだった。『縄文土偶』の新しい演奏が欲しかったこともありこの演奏会のCDを入手していたので、久しぶりに聴いてみた。

それで思ったのだが、この『雨』というのはつまらない曲なのではないか、また、お江戸コラリアーずの演奏もつまらない演奏なのではないか。

そもそも『雨』という組曲は『十一月にふる雨』と『雨 雨』の差し替えの件もあり、人気の割にどうも座りの悪い印象がある。『雨 雨』は突然新実徳英あたりが接ぎ木されたような情感の薄さがあり、かと言って『十一月にふる雨』を組み込んでも何やら戦隊もの仮面ライダーが紛れ込んだような毛色の違いを感じる。いずれにしても、組曲としての全体像が成立していない。これは差し替えがなければ4曲目に『十一月にふる雨』のある組曲として普通に受け止められていたはずで、その時には他の曲の印象も現にあるものとは違っていただろう。

4曲目の問題を別としても、バランスの悪さは残る。単体として1曲目ばかりが重く、他は表情の単調な曲が並ぶ。『雨の日の遊動円木』あたりはやや調子の外れた感じが多少の面白みを付け加えもするが、『武蔵野の雨』など実際の演奏でもどうにもなっていない。『雨の日に見る』も「歌いました」以上のことのない演奏ばかりで、結果的には4曲目の違和感で組曲を持たせているようにも感じられる。ここは演奏のしようでできることもあるはずだが。

と、このあたりでお江戸コラリアーずの演奏だが、改めてCDで聴いてみて、聴きどころが全く分からない。「歌った」という実績ができた以上のことが何かあったのか、というくらいに感じる。『十一月にふる雨』を演奏したはいいが(良くないが。追悼を言いながらすることではなかろう)これも単調な曲で、ならば『雨 雨』をドラドラ歌っていた方がまだ退屈でなかったろう。

悪口ばかりになったが、この組曲にはyoutube などでも良い印象の演奏に行き当たっていない。自分が過去に受けた指導からはもう少し何とかなるという示唆をもらってもいるので、わざわざ演奏したがる向きには奮起してもらいたいところだ。