『ぼく』『あなた』『じゅうにつき』(1)

谷川俊太郎の詩集『みみをすます』による3曲。これらは三つの大学合唱団から成る「合唱連盟虹の会」の合同演奏のために書かれた作品であり、『ぼく』『あなた』は「三群の混声合唱体とピアノのための」となっているが、『じゅうにつき』ではピアノは用いられず、合唱も出版譜は三群の形にはなっていない。

虹の会は田中信昭を指揮者として迎えており、『ぼく』の前書きに

田中信昭さんの示唆をいただき、谷川俊太郎さんの詩集「みみをすます」を心の課題としてから二年ほど過ぎ

とあるように、これらの曲の成立には田中信昭が大きく関わっている。田中信昭は合同演奏という形に相応しい作品を求めていただろうし、合唱音楽の拡張や複合唱の現代的な再生といった考えもあったのではないかと思う。

三群という編成を意識しながら楽譜を眺めてみる。『ぼく』は曲が多数のセクションに分かれており、三群はそれらのセクションごとに組み合わせの可能性が試みられている。<ぼくはうまれた>はシンプルなアルトの呼び交わしのようでいて、ソプラノは三群共通の2声の divisi 、男声は各群ごとに別の音を鳴らすようになっており、以後三群合同の部分、三群の女声のみと男声のみ、2:1の大小をつけた二群、男声が合同で女声のみ三群、と現れる。<PROLOGUE>/<ふたたびよるへと>ではこうした多様性が内部で示され、三群は見えながらも各群、各パートの関係の移り変わりが複雑になっている。

これらの組み合わせの中で、女声三群・男声合同の形はやや特殊な意味を持つように思える。「低音が合同」と見れば、これは『あなた』につながる性格になるためで、実際に『あなた』のバスのパートはかなりの部分で三群共通となっている。

『あなた』は、終止線による区切りが途中に2か所あり、それぞれの途中に複縦線による区切りもあるが、それぞれのセクションに呼称や番号などはない。三群の扱いはこれらの区切りともそれほど結びついておらず、三群の形は各部分で流動的に現れる。その現れ方としては、各群が対等、2対1、三群合同などもあるが、実質声部内の divisi に近い場面や、全体が一斉に歌う中で特定のパートのみが三群の形で歌うといった場面もあり、特にこの最後の形が多く現れる。上に挙げたバスパートについてはこのような形の中でほぼ常に共通となっている。全体的には、複合唱的な性格は『ぼく』よりも弱まっている。

『じゅうにつき』の出版譜は冒頭に触れたように、三群ではなく四声の形になっている。が、楽譜を見ると三群にしようとした痕跡のようなものが見える。ホモフォニックな部分の少なさや長い休符の多さ、放漫とも見える divisi の多用、その divisi した声部が多声的な動きをすること、などがそうしたものとして挙げられる。

楽譜の前書きで三善晃

作曲が遅れ、12曲のうち何曲かは3群・12声部の混声に書き分けることができず、通常の4声体(3群共通の楽譜)となったが

と書き、三群の形が四声体からの書き分けという手順によっていることを明かしている。『ぼく』の時点からそうした手順であったかは分からないが、3曲を通じて複合唱的な性質が後退していく事情の一部は、この作曲の手順なのではないかと思われる。おそらくこの書き分けはオーケストレーションに近く、作曲の度に機能面が徐々に整理され、均等な3つのグループという編成の必然性が薄れていったのだろう。『あなた』のバスパートの件も、こうした経過の表れと考えられる。